濃度・オブ・ザ・リングBACK NUMBER
「凶器は模範六法」「伊製高級スーツでリングイン」異色の“東大卒”弁護士・川邉賢一郎がプロレスラーになるまで
posted2021/08/18 11:00
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph by
Norihiro Hashimoto
中学校の頃から弁護士を志した彼は、なぜ司法と並行してプロレスの世界に足を踏み入れることになったのか――。どれだけ本業が忙しくてもリングに上がり続けたいと誓う男が歩む波乱万丈の人生物語(全2回の1回目/#2に続く)。
そんなつもりじゃなかったのにリングに立っていた。そういうこともあるのがマット界だ。
プロレスリングBASARAに所属するレスラー・剛馬(39)。そのもう一つの所属先は弁護士法人Nextである。剛馬こと本名・川邉賢一郎は東京大学を卒業して司法試験に合格、弁護士として横浜に事務所を構えている。
“東大卒の弁護士レスラー”
そう書いて間違いではない。ただしいかにもなエリートでもない。地元は「横浜の外れ」。通っていた小学校では、中学受験するのは3人くらいだった。そんな中で、母親が教育熱心だったこともあり、中高一貫の進学校へ。
弁護士になりたいと思ったのは中学時代だ。織田裕二主演のドラマ『正義は勝つ』、三谷幸喜脚本の『合い言葉は勇気』を見て憧れた。高校1年の3学期、模擬試験で「めちゃくちゃいい点数」を取って東大受験を意識するようにもなった。特に優等生ではなかったというが、周りの環境もよかったのだろう。生徒の3人に1人は東大に進むという高校だった。
「東大生の学生プロレスラー」として一橋生を煽った
弁護士を目指す東大生なら、それほど珍しくない。ただ川邉は大学生になって初めて学生プロレスの存在を知り、プロレス研究会に入部し、“弁護士を目指す東大生の学生プロレスラー”になった。もともとプロレスは好きだった。闘魂三銃士、全日本四天王の闘いを深夜の中継で見ていた。
付け加えると東大にプロレス研究会はなく、入部したのは一橋大学のプロ研「HWWA」であった。先輩には武蔵野美術大学のアントニオ本多、現DDTのアントーニオ本多がいた。
川邉賢一郎はHWWAでリングネーム「竜剛馬」となった。往年の名レスラー、剛竜馬のパロディだ。一橋の学生と闘う東大生は、存在としてナチュラルなヒール。コミカルな試合は学園祭を訪れた観客のツボをこれでもかと刺激したのだった。
「一橋と東大、いい対立概念なんですよ(笑)。一橋の学生に向けて、憎っくき東大っていう感覚を煽るわけです。実際には東大に受からなかったとかではなく、意識的に一橋を選んだ人が多いと思うんですけどね。むしろ東大生のほうが成績だけで入ってきてる感じじゃないですか」