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「スマン、こんな晴れ舞台慣れてない」 警察官なのにタトゥーでヤンチャなイタリア人が“大波乱の100m最速男”になるまで《東京五輪》
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAsami Enomoto/JMPA
posted2021/08/06 17:02
ジェイコブスのあっと驚く金メダル。ボルトが去った後の五輪100mの最速男は、面白エピソードの持ち主だ
自動車に牽引された、ランナーがすっぽり入る透明な風防ケージに、スタートを切ったジェイコブスが吸い込まれる。空気力学的なアシスト装置により、トップスピードの感覚を体に覚え込ませる奇抜なトレーニングは、100m換算すれば8秒5に相当する最高速を引き出したともいわれている。
コーチのコモッシはスタートの改良に力を入れた。
スタート直後最初の10mですぐに肩を起こし、ピッチ数と着地スピードを上げ、初速よりその後の加速を重視した。
東京の新国立競技場のトラックもウォームアップ用のそれもすぐにフィーリングが合った。予選で9秒94を出したジェイコブスは自己の持つイタリア記録を更新し、準決勝では9秒84を出してヨーロッパ記録も塗り替えた。
「オリンピックの王様になるんだよ!」
イタリア人スプリンターとして史上初めて五輪男子100m決勝に臨むジェイコブスに、コーチが「セミファイナルで瞬間最高速(時速42.7km)を出したの、おまえだぞ」と声をかけた。
「世界で一番速いやつが何を手にするか、わかるか? オリンピックの王様になるんだよ!」
決勝がスタートし、ジェイコブスは3レーンに飛び出した。反応速度は0.161秒、7人中6番目。
ヒューズ(英国)のフライング失格により、ぽっかり空いた4レーンを挟み、5レーンのフレッド・カーリー(米国)が60mまで一番手を走った。
だが、コンパクトかつスピーディにピッチを刻みながら猛然と加速したジェイコブスは85m地点手前でカーリーを抜き、90m付近で最高速度43.3kmに達すると、1位でフィニッシュした。目にも留まらぬ45歩だった。
「決勝前のウォームアップで、準決勝より調子が上がっていることに気づきました。スタートでももっとうまくやれるという自信もありました。だから、自分の体にお願いしたんです。『これが最後のレースだ。頼む、限界を超えさせてくれ』と」
「スタートブロックについたら、自分のレーンだけに集中しました。フライングでやり直しになっても、まったく気にならなかった。ゴールラインを超えて1位になったと周りの反応で確信したときは、叫ばずにいられませんでした」