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「家出して3カ月の漫喫暮らし」「枕をしたら仕事をやるよ」壮絶な過去を超えてスターダムの朱里が亡き母に誓う“赤いベルト”の夢
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/07/29 17:00
7月31日、8月1日の2連戦で幕を開ける『5★STAR GP 2021』。その先に、朱里は“赤いベルト”を見据えている
「やるからには結果を出したい」と、朱里はプロレスには自分の力だけではどうにもならない部分も感じたようだが、「格闘技なら自分次第でベルトを巻ける」と思ったという。
プロレスを始めた頃は、そもそも女優を目指していたので体格はヒョロヒョロ。ネットでも「あいつ弱いくせに」と書かれていた。
「なめんじゃねえ、絶対に見返してやる」
朱里は様々な団体のリングに上がった。ルチャ・リブレもメキシコで体感した。アレナ・メヒコというルチャの歴史が詰まった常設の大会場でCMLL王者として戦ったこともあった。
「実は私、高所恐怖症なんですけど、この時期は場外に飛んだり、くるくる回ったりしていましたね。アレナ・メヒコで自分がCMLL王者として試合ができたことは、本当にすごい経験をさせていただいたと思ってます」
キックボクシングにも挑んだ。1回の負けで”終わり”だと思った。だから休みなしで練習した。
「2014年3月、Krushのベルト巻いて、3度防衛をしたところで、次の目標はなんだろう? と考えていました。このままでいいのだろうか? と。目標がないと何もできない性格なので」
そんな時、UFCの映像を見た。
「総合格闘技は絶対にやらないと自分の中で思っていました。距離感も、何もかも違う、投げもあって、寝技もある。でも、私の目指す所はここだ! 世界最高峰のUFCに出たい! と思い、UFCを目指したいのでパンクラスに参戦させてくださいとお願いしました」
パンクラスでのデビュー戦となった、vs.浅倉カンナ
パンクラスでのデビュー戦は2016年4月、相手は3連勝中の浅倉カンナだった。
「その時、私は自分が噛ませ犬だと思いました」
勝つしかない。その一心から、朱里は3-0の判定で勝利した。それから5戦5勝して、翌年にはパンクラスのベルトを巻いた。
朱里は一日2部、3部練習していた。フィジカル、レスリング、寝技、柔術、キック、全て強くならないと、UFCに届くはずがない。必死で練習し、プロレスも並行してやっていた。
「一番『1本ネジ外れているな』と思ったのは格闘技の時、8キロ減量するんですが、前日の計量が終わって、その夜、プロレスの30分フルタイムの試合をして、翌日、格闘技の試合をした時があって。そんな無茶してたなんて、今では考えられないです」
UFCからはパンクラスのチャンピオンになったタイミングで声をかけてもらった。
「運もあったし、タイミングもよかった。UFCのリングに上がれたことはすごい経験になったし、私にとって財産になりました。ものすごく嬉しかった。
両方ともやったから言えるんですが、格闘技をやっている人がすぐプロレスをできるわけじゃない。逆にプロレスラーがすぐに格闘技で勝ち続けられるわけでもない。
格闘技もプロレスも簡単じゃないんです。私は真逆の競技くらい思っています。それぞれものすごく練習して真剣に取り組まなきゃできないものだから」