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「家出して3カ月の漫喫暮らし」「枕をしたら仕事をやるよ」壮絶な過去を超えてスターダムの朱里が亡き母に誓う“赤いベルト”の夢
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/07/29 17:00
7月31日、8月1日の2連戦で幕を開ける『5★STAR GP 2021』。その先に、朱里は“赤いベルト”を見据えている
家出して3カ月間の“漫画喫茶暮らし”
朱里が「最悪の選択」と語る出来事は、高校卒業直後に起きた。朱里は突然、家からいなくなった。家出をして、連絡を絶った。3カ月間のマンガ喫茶暮らしだった。
朱里は高校時代、すき家、ほっかほっか亭、八百屋、ビラ配りと4つも掛け持ちでアルバイトをして、何かあったときのために貯金していた。それを3カ月で使い果たしてしまった。
自分で芸能事務所を探して舞台女優とか、ちょっとしたモデルをやった。18歳から19歳の頃だった。
「どうやったら自分が輝けるんだろう? と考えて、バイトをしながらプロデューサーやいろんな方に会いに行きました。顔を売るためにガムシャラにやっていたけれど、『枕をしたら仕事をやるよ』と言われたり、『お前は鼻がだめなんだよ』って言われて、整形とかも真剣に考えた時期もありました。全然光が見えなくて。ものすごく悩みました」
そんな時、「ハッスルのオーディションがある」という話が舞い込んできた。
「プロレスなんか見たことなかったし、ハッスルってどんなものだろう? と思ったけれど、自分は何でもやるしかないと思っていました。オーディションに7人受かってみんなで練習していくうちに、気付いたらみんな辞めていってしまいました」
朱里はこうしてプロレスという、考えもしなかった未知の世界に飛び込んでしまう。
「プロレスのことは全くわからなかったし、練習もきつかったです。でも体を動かすのは好きだったので楽しい気持ちもありました。ハッスルでは、提示された給料10万円は2カ月分しかもらっていなくて、他は未払い。交通費もなく、深夜にバイトをしてました。選手全員分のコスチューム、ガウン、サポーター、靴下まで準備して、練習場のリングを解体してリングトラックの中に入って、そのまま移動して会場に運び、終わったらまたそれを練習場に戻して組み立てる。コスチュームは全員分洗濯して干して。家には帰れなかったですね。
自分は何をしているんだろう? と思いました。辞めたいって言えなかったのもあるけど、それ以上にハッスルというリングで自分が輝ける場所が初めてできた。そして、応援してくれる人がいてくれる。すごくうれしかったし、だから続けられたんだと思います」
「なめんじゃねえ、絶対に見返してやる」
お金がなかったから、周りからは「みすぼらしい格好だね」とも言われたこともあったが、「こういう時期があったから、今がある。こういう経験って普通はできないと思うので」と朱里は強さを見せた。
「プロレスはTAJIRIさん、KUSHIDAさん、ばんざいチエさんに教えていただいてました。格闘技は小路晃さん。100キロ近くあった小路さんをおんぶして坂をのぼったり、抱っこや肩車して階段を上がったりしていて、ローキック一発で立てなくなったり、ライオン式腕立て500回、できないなりに泣きながらやってましたね」