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決めればメダル、外せば4位… リオでは“出場権もなかった”アーチェリー男子団体が「最後の1射」を放つまで
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakuya Matsunaga/JMPA
posted2021/07/27 17:02
アーチェリー男子団体の3位決定戦は大接戦となり、その重圧を乗り越えた日本代表の3人は喜びを爆発させた
「僕の心がぴょんぴょんしています」
決めればメダル、外せば4位という局面を、武藤はこう振り返る。
「天と地の差かもしれないですが、あまり意識せず、自分のやることをしっかりやったのがよかったです」
手にすることができたメダルへの思いもひとしおだった。
「ほんとうに重たいなって。僕を支えてくださった皆さんの支えがあっての重さだと思うし、僕からは感謝の気持ちのこもった重さだと思っています」
ほかの2人にとっても格別の思いがあった。
「今までのメダルの中でいちばん重たいです。いろいろな思いがつまったメダルです」(河田)
2012年ロンドン五輪銀メダル、今回で5大会連続出場のベテラン、古川にとっても特別なメダルだった。
「うれしさでまだ気持ちが浮ついている感じで、僕の心がぴょんぴょんしています」
リオでは出場権も得られなかった団体戦
これまで男子は、1984年のロサンゼルスと2004年のアテネでメダルを獲得した山本博、あるいは古川のように突出した個の存在はあった。ただ、高いレベルの選手層の薄さは否めず、これまで団体戦での表彰台はかなわなかったし、リオデジャネイロ五輪では出場権も得られなかった。
河田は小学生の頃からアーチェリーを始め、中学、高校もアーチェリー部のある学校を選択するなど、日本の選手としては早い年代から打ち込んできた。2014年、史上最年少の17歳で全日本選手権優勝を果たして「逸材」とも言われたが、リオデジャネイロ五輪の代表を逃し、挫折を味わった。それをばねにして迎えた東京五輪だった。
武藤は小学校を卒業後、愛知県内の進学校に入学。そこでアーチェリーと出会い、魅せられた。平均的な本数の倍は射ていたと言われるほどの練習量を土台に上ってきた。
そして古川はロンドンでメダルを獲得したものの、リオでは表彰台に立てず、大舞台での戦い方を、メンタルの持ちようを模索してきた。