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ヤンチャな少年時代を過ごした西田有志をつなぎ止めたバレーボール…走り続けた21歳の“休養期間”は吉と出る?《東京五輪》
posted2021/07/23 11:04
text by
岩本勝暁Katsuaki Iwamoto
photograph by
FIVB
若い女性が2人、関係者エリアの向こうからヒラヒラと手を振っていた。
西田有志がVリーグでデビューして1年が過ぎた頃だ。試合を終え、チームバスが待機する駐車場まで、コメントを取りながら肩を並べて歩いていた。
裏口を抜けたところで、女性の1人と目が合った。誰かを呼んでいるようだ。距離にしておよそ20m、バスのエンジン音で声はかき消された。女性が頭の上で手首をくるっと返し、矢印の形にした指を横に向ける。その方向にいた西田からは、死角になっていて見えていない。
「あっちで誰かが呼んでるよ」
西田は女性の姿を確認すると、「ウスッ」と小さく答えて小走りで駆け寄っていった。弾むような足取りは試合の疲れを感じさせない。ファンによる選手の「見送り」は、まだ牧歌的な空気が流れていた。
1年後。その光景は一変した。
出待ちの数は何倍にも膨れ上がり、チームバスに乗り込む背中に向かって、黄色い声が幾重にも浴びせられた。スモークが貼られた窓が開けば、スマホのシャッター音が鳴り響き、そこに向かって数え切れないほどの手がブンブン振られた。
西田は一躍スターダムにのし上がった。
19年W杯での連続サービスエース
無論、爆発的な人気に見合う実力はあった。
きっかけは2019年秋のワールドカップ。世界の強豪が日本に集結し、12チーム総当たりで順位を争った。初戦でイタリアに勝つなど快進撃を遂げた日本は、最終戦を残して7勝3敗と4位を確定させていた。迎えたカナダ戦、西田は伝説に残るパフォーマンスを発揮した。
15点先取の第5セット、9-9で西田にサーブが回ってくると、豪快に左腕を振り抜いた。怒涛の6連続得点でゲームセット。そのうちの実に5点をサービスエースでもぎ取った。目標のメダルには届かなかったが、日本は史上最多となる8勝を挙げた。西田の殊勲に異を唱える者はいなかった。