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「僕は一度死んでいるんです」 こけて、こけてこけて“ラスト1枠”をつかんだ亀山耕平のじぐざぐな体操人生
posted2021/07/03 17:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AFLO SPORT
じぐざぐの体操人生を歩んできた男が、初の五輪切符を手に入れた。東京五輪の体操競技個人枠が懸かった種目別ワールドカップ最終戦が6月23日から26日までカタール・ドーハで行なわれ、種目別あん馬の亀山耕平(徳洲会)が日本男子のラスト1枠となる五輪出場権を手にした。
種目別の鉄棒で4度目の五輪出場を決めている内村航平と同学年の32歳。亀山はどのような選手なのか。
生まれは1988年12月28日、仙台で誕生した。3歳の頃、自宅にある高さ1メートルのダイニングテーブルから足の指を引っかけて遠くまでジャンプしている姿を見た母・良美さんに、近所の「仙台スピン体操クラブ」に連れて行かれたのが体操との出合いだった。
エリート体操人生に降りかかった東日本大震災
抜群の運動神経を持っていた亀山は、幼稚園に入ると身長よりも高い8段の跳び箱を跳んで大人を驚かせ、選手育成コースに進んだ。逆立ちや側転が大好きで、家の廊下は常に逆立ち歩き。友だちが遊びに来てチャイムが鳴ると逆立ちでドアを開け、友だちを驚かせていた。
小学校の通信簿には「普段は落ち着きがないが、体操のことになると大人っぽくなる」と書かれていたという。小学校の卒業文集には「将来の夢はオリンピック選手」と書いた。
中学生になるとあん馬で頭角を現すようになった。特に評価されたのはつま先までスッと伸びた美しさ。高校は体操の名門である埼玉栄高校に進学。リオ五輪団体メンバーの山室光史とは同級生だ。
仙台大学を経て2011年に社会人の徳洲会入り。同年3月11日、東日本大震災が起きた。仙台を離れて、徳洲会体操部がある神奈川県に移り住んでから2週間後の出来事だった。
幼少時によく面倒を見てもらっていた宮城県南三陸町の祖父母が行方不明になり、安否が判明したのは1週間後。幸い2人は無事だったものの祖父母の家は町ごと流され、跡形もなくなっていたという。