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赤いベルトを極めた女・岩谷麻優の10年以上遅れた“結婚引退プラン” 「プロレスは天職。生きている感じがする」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2021/06/30 11:02
「シングルマッチが好きなんです」と語る岩谷麻優は、白いベルトと赤いベルトをふたたび狙っている
「なかなか辞められない。生きている感じがする」
デビューして10年半近くが過ぎた。
「こんなに長くプロレスをやっているとは思わなかった。一番最初に辞めると思われていましたから。自分は本当にスタミナがなくて、リング上では3分間すら動けなくて、倒れて、逃げて、1年以上勝てなくて……。でも辞めずに何度も戻ってきたから、生き残ったのかな」
「10年続けても27歳だし、10周年で辞めよう」と前は思っていた。
「でも、この仕事をしていたら、なかなか辞められない。充実している。生きている感じがする。自分を必要としてくれる人がいる。本当に天職に就いたと思いました」
天職。引きこもりの少女を開花させたプロレス。もしプロレスラーをしていなかったら、何をしていたと思う、と聞いてみた。
「ニートです。職業ニート、実家にこもってニートしていたと思います」という即答の後、ちょっと間を置いて、もう一つの回答があった。
「か、パン屋さん。小さい頃の夢はパン屋さんだったので、パン屋さんになれていたらよかった。90パーセントはニートですが、10パーセントくらい可能性があったかも。ベーカリー・マユとか。メロンパンを作りたい。一回もパン焼いたことないですけれど……(笑)」
マディソンで緊張が一切なくなった瞬間
岩谷は2019年4月、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)のリングに立った。
「会場入りしてから、やっばい所に来たな~と思っていたのですが、最終的には感動的でした。自分の一つ前の試合が、5分くらいで終わっちゃったんです。すぐに入場ゲートに歩いていって階段でも上がるのかと思ってカーテンの幕を開けたらもうステージでお客さんの前に出ていた。お水を飲んで、深呼吸してとかできないまま、目の前に広がる景色に、楽しい、と思いました。緊張が一切なくなった瞬間です。緊張で委縮していた自分がそれから解放された。こんなに人がいる。みんなが見ている、という状況に感情が爆発した。ちゃんと見たい! って」
被っていたオーバーマスクは視界が狭いので、花道の途中で脱いだ。「こんな世界があるんだ」。岩谷はMSGの雰囲気に酔っていた。その1年前にMSGの外観を見たことがあった。
「ああここがドラゴン、藤波辰巳さんが出て、初めてドラゴン(・スープレックス)で勝った場所なんだ」
藤波は1978年1月、MSGでカルロス・ホセ・エストラーダをドラゴン・スープレックスで破って、WWWF(現WWE)ジュニア・ヘビー級王者になって、凱旋試合後には「ネバー・ギブアップ」と叫んだ。
「自分ってなんて運がいいんだ。マディソンにも東京ドームにも出られたのは運だと思う。すごい運に恵まれています」