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笹生優花と畑岡奈紗の勝敗を分けたものは? 現地レポーターが見た直接対決「2人だけはラフからバーディを狙っていた」【全米女子オープン】 

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南しずか

南しずかShizuka Minami

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posted2021/06/08 11:03

笹生優花と畑岡奈紗の勝敗を分けたものは? 現地レポーターが見た直接対決「2人だけはラフからバーディを狙っていた」【全米女子オープン】<Number Web> photograph by Shizuka Minami

大会史上最年少で全米女子オープンを制した笹生優花。世界ランキングも40位から一気に上昇して9位となった

 父のゴルフ練習についてきた笹生が「プロになりたい」と口に出したのは8歳の頃。ポーラ・クリーマー(米国)が全米女子オープン(2010年)で優勝したシーンをテレビで見たことで、その思いを強くしたという。父親の正和さんから「プロになるには他のことをいっぱいあきらめないといけないよ。これから楽しいこといっぱいあるから、今から選ばなくてもいいのに」と諭されても、ゴルフをさせてほしいと涙を流して懇願した。

 娘の熱意に動かされた正和さんは、妻の故郷であるフィリピンへ1カ月ほど連れて行ったことがある。それは日本よりも金銭面で安くゴルフができるからだった。

「ほんとは月曜日休みなんだけど、頼んで毎日ゴルフ場へ行きました。子供って飽きて帰りたいって言うもんだけど、『お腹減った』とか、『帰る』とも言わずに、ずっとやっていたから、これはほんとに好きなのかなと」(正和さん)

 その後、本格的にゴルフをするためフィリピンに移住した。その翌年にフィリピンの予選会に受かり、USキッズの試合に出たことを皮切りに、この11年間で16カ国へ転戦し、年間約32〜36試合に出場した。全米女子オープンにはアマチュア時代を含めて、今回で3度目の出場だった。まだ19歳とはいえ、アメリカのコースやセッティングの経験をかなり積んでいたのだ。

 笹生はホールアウト後のインタビューに英語で応じ、「優勝できるとは思っていなかったです。とにかくここにいられること、ここでプレーができることがうれしいと思っていました。本当に信じられません。とにかく家族に『ありがとう』と言いたいです。家族がいなければ、私はここにいなかったです」と話し、涙を堪えきれなかった。そして、言葉を詰まらせながら「もっともっと、これからも頑張りたい」とさらなる活躍を力強く誓った。

【次ページ】 「誰もが憧れ、獲りたい栄冠」

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