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“10歳でバルサに行った”久保建英が20歳に…「爪痕を残さないと生き残れない」スキルもメンタルも規格外な頼もしさ

posted2021/06/04 17:02

 
“10歳でバルサに行った”久保建英が20歳に…「爪痕を残さないと生き残れない」スキルもメンタルも規格外な頼もしさ<Number Web> photograph by JMPA/Getty Images(L,R)

リーガの舞台で戦い、東京五輪世代の中心として期待される久保建英。ガーナ戦の出場はあるか

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NumberWeb編集部

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JMPA/Getty Images(L,R)

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は6月4日、20歳になった久保建英にまつわる3つの言葉を、バルサ下部組織時代からJリーグ、代表での写真などとともに紹介します。

<名言1>
自分ではやれると思っていても、活躍の場がなければ意味がない。
(久保建英/Number985号 2019年8月29日発売)

◇解説◇
 バルセロナから帰国を余儀なくされた2015年3月、久保はFC東京の下部組織に所属した。中学3年にしてU-18へ飛び級、2017年11月にはプロ契約。トントン拍子で階段を駆け上がった。だが実質プロ1年目となった2018年は「17年生きてきて初めての挫折」を経験する。

 徐々に出場機会が減っていく状況を前に、久保は移籍を志願した。レンタル先の横浜F・マリノスできっかけを掴むと、半年後にはFC東京に復帰。その決断と活躍が、その後のレアル・マドリー移籍とリーガ挑戦へとつながった。

 10代にして強いメンタルを持っていた久保。今も自らの意思で突き進む「日本の未来」は着実に階段を登っている。

 その久保は3日に開催された日本代表とU-24日本代表のチャリティーマッチに、U-24のトップ下として先発出場した。自身にとって“10代ラストゲーム”となった一戦では、前半20分に田川亨介の決定機を演出するパスを通し、30分にはドリブル突破から直接FKを得るなど、この年代の中軸であることを証明した。

【次ページ】 「何千回」も練習したシュートパターンとは

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