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中日・根尾昂は12歳から変わらない、目力も謙虚さも…少年時代から知る元用具担当者が明かす秘話【初本塁打が満塁弾】
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2021/05/09 11:03
プロ初本塁打が華々しい満塁弾となった根尾はベンチで先輩たちの祝福を受ける
音重鎮さんから「すごい子がいるぞ」と
「ナゴヤ球場の屋内練習場でしたね。根尾選手はドラゴンズジュニアに選ばれていて、監督だった音(重鎮)さんから『すごい子がいるぞ』って教えていただいたんです」
NPB主催の12球団ジュニアトーナメントを戦うドラゴンズジュニアの一員として、根尾は週末ごとに飛騨市から通っていた。現役時代は勝負強い打撃で鳴らした音が、ゼット社の顧客だったことも幸いした。出会ったころの飛騨の神童に抱いた印象は、実は9年たった今も変わらない。
「受け答えが1人だけ違っていましたね。それとあの目力!」。伊藤氏も愛知県の公立高校で白球を追った元球児だ。音が言った「すごい子」の意味はわかった。ただ、12歳の少年の才能を囲い込み、将来を見越して青田買いするような無節操な付き合いはしなかった。
神童と呼ばれる少年も未来はわからない
年末の12球団トーナメントを終え、飛騨が本格的な冬を迎えるころ、飛騨市に隣接する高山市のスポーツショップイネの店主と伊藤、根尾父子の4人が喫茶店に集まり、話し合いの場を設けた。
「選ばれたドラゴンズジュニアの中に入っても、光っては見えましたし、すごいとも思いましたよ。でも野球をやっていればケガもある。スキーもやっていたので、そこで骨折することだってあるかもしれない。何より小学生に無償提供するのは明らかに行き過ぎている。そこでイネさんを通じて、用具を買っていただく。その上でしっかりサポートやアドバイスもさせていただきますよとなったんです」
職業柄、神童や天才と呼ばれる少年は他にも見てきた。すなわち、早熟が必ずしも未来の保証書とはならないことも知っていた。そもそも12歳の少年のサポートを開始すること自体が、30年以上のキャリアをもつ伊藤氏にとっても前例のない特別待遇だった。豊かな才能、企業倫理、そしてビジネス。両親が医師という根尾家もすぐに理解を示してくれ、根尾とゼット、いや伊藤氏との付き合いが始まった。