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ジーコの現役ラストゴールとアルシンドの予言…相馬直樹監督が語る鹿島アントラーズ「12番を着けたみんなと約束できること」とは?
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byJ.LEAGUE
posted2021/05/07 11:02
日本代表でも活躍するなど、鹿島アントラーズのタイトル獲得に貢献した現役時代の相馬直樹。監督としてチーム再建を託された
プロ生活12年。相馬にとって、一番の自慢がある。それはジーコのラストゴールをアシストしたことだ。
「あのときは、アルシンドさんが僕にボールを散らしてくれて、左サイドからクロスを上げた。それをジーコさんがダイレクトで、右足で合わせて決めたゴールです」
そのゴールは1994年6月15日、アウェーのジュビロ磐田戦で生まれた。その試合当日の朝、前泊していたホテルで、ふとアルシンドに呼び止められた。
「ホテルで朝食をとっていて、彼とタイミングが一緒だったんです。その当時通訳だった鈴木國弘さんも、たまたまその場にいて。するとアルシンドさんが僕のところに来て、『相馬、今のままもっともっとやっていけば、必ず日本代表になれるから』という言葉をくれたんです。それは今でも覚えているし、すごく印象に残っています。今となっては、その日の試合でジーコさんのゴールをアシストするんですが、すべてがつながっていて、感慨深く思い出しました。アルシンドさんはあまりそういった真面目なことを言うタイプに思われていないですが、情熱家だし、仲間思いなところがあるんですよ」
当時はプロ1年目。その翌年、アルシンドはヴェルディ川崎(現東京V)へ移籍する。相馬は背番号7を引き継ぎ、仲間の言葉に導かれるように飛躍した。
3試合フル出場したフランスW杯
日本の攻撃的な左サイドバックといえば?
1998年当時、サッカーファンにそう問えば「相馬直樹」の名前が多数を占めた。フランスW杯では左サイドバックとして全3試合に出場し、名実ともにキャリアのピークを迎えていた。
日本が初めて迎える大舞台を前に、相馬は何を感じていたのだろうか。そして、大会を通じて何を得たのだろうか。
「正直、怖さがあって……。W杯の直前は、『全然通用しないのではないか』という不安がすごくあったんです。結果的にも、チームとして勝つことができなかったし、足りないところもたくさん感じた大会でした。ただ3試合のピッチに立つことができて、自分のペースでポジティブに仕掛けていけば、W杯の舞台でも『十分にやれる』という感覚をつかむことができました。それはすごく自信になりました」
参加するものではなく、見るもの。そんな定義だったW杯という大舞台で、日の丸のユニフォームをまとってピッチに立つことができた。そして、大きな自信を得た。「夢のまた夢」という大会を経験したことで、相馬自身の心に変化が訪れた。
今だからこそ、言えることがある。