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震災時の楽天キャプテン鉄平が陥った大不振… コーチ転身後「今となっては財産」と言える理由【3.11】
posted2021/03/11 11:04
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Hideki Sugiyama
節目や区切り。3.11が近づくとよく見聞きする言葉を違和感なく受け入れられる日は、いつ訪れるのか。あの日目にした光景は、10年経ってもはっきりと記憶に残っている。
道路を埋め尽くす土砂や瓦礫。横転したまま放置された車や船。沿岸部は住宅や建物が存在していたことさえ分からなくなるほど、変わり果てていた。そして、自分の無力さを嘆き、苦悩した記憶も消えることはない。
「大きなものを背負いながら野球に向き合ってきた。数字的に10というのは切りがいいのかもしれませんが、事柄が起きたことに対しての10年は何の節目でもないですよね。僕らは東北を看板にやっていく。これからも続いていく。その思いは何も変わりません」
東日本大震災から10年。楽天イーグルスの鉄平一軍打撃コーチは言葉を選び、紡ぐように話し始めた。
星野監督からキャプテンに指名されていた
2011年、鉄平コーチは選手として楽天のユニフォームを着ていた。震災が起きたときは、オープン戦で兵庫県明石市にいた。大きな揺れを感じることはなかったが、東北で被害が出ているとの情報が入り試合は中断。その後再開されたが、すぐに打ち切りとなった。
2009年に打率.327で首位打者のタイトルを獲得した鉄平は、翌年も打率.318をマークし、打線に欠かせない存在となっていた。理想の打撃を追求し、黙々と自分の役割をこなす職人気質。声でチームを引っ張るタイプではなかったが、2011年シーズンから指揮を執った星野仙一監督からキャプテンに指名された。
キャンプやオープン戦では、自分の調整以上にチームが優勝するためにどうすればいいのかを考えてきた。後輩にアドバイスし、ベンチでは率先して声を出していた。しかし、シーズン開幕まで2週間。本拠地のある宮城県、東北が過去にないほどの甚大な被害に見舞われ、キャプテンとして想像もしていなかった重責や役割を担うことになった。