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震災時の楽天キャプテン鉄平が陥った大不振… コーチ転身後「今となっては財産」と言える理由【3.11】
text by
間淳Jun Aida
photograph byHideki Sugiyama
posted2021/03/11 11:04
2011年の鉄平ら楽天ナイン。指導者として現在は若き選手を育成している
瓦礫に交じった日常品を触れられないほどのショック
震災後、鉄平は食欲が落ち、眠れない日が続いた。最大の理由はジレンマだった。
「自分が、自分たちが先頭に立って被災地で力にならないといけないのに、東北への移動手段がなく、できることが少ない。何ができるのか考えて探しても見つからない。何もできないと思うと眠れなかったですね」
宿泊していたホテルで、日付が変わってから選手会長の嶋基宏の部屋を訪ねたときもあった。
楽天の選手たちが初めて被災地に入ったのは、震災が起きてから1カ月近く経った4月7日だった。
ぐしゃぐしゃになった線路。頭よりはるか上に津波の跡が刻まれた建物。信じられない光景が広がる中、鉄平が最もショックを受けたのは、瓦礫に混ざった洋服や靴、携帯電話だった。瓦礫の1つでも片づけたいとの思いで被災地を訪れたが「そこに生活していた跡がたくさんあって、簡単には触れられなかった」と言葉を絞り出した。
野球をプレーする葛藤を吹き飛ばした瞬間
この時、鉄平には野球選手としての迷いがあった。野球は娯楽の1つと考えていたため「被災した人が今の状況で野球を楽しむことができるのか。『今こそ野球』という気持ちにはなれないですよね。見に来てくれる人、応援してくれる人がいるからプロ野球は成り立っているわけですから」と胸中を明かしていた。
ただ、避難所を訪問して、心の中で何かが変わろうとしていた。
「震災から1カ月も東北に帰ることができなかった。どんな言葉をかければいいのか不安でいっぱいだった」という鉄平は、避難所で暮らす人たちに感謝された。握手を求められ「復興に向けて頑張って行きましょう」、「大変だろうけど応援しているから」と力強く手を握られた。
「本当に救われた。野球をやらないといけないと強く思った。立ち止まってはいけない」
プロ野球は選手が生活をかけたプロ同士の対決。これまで、勝敗はどうなるか分からないからベストを尽くすと考えてきた。誰かのために野球をやる感情が芽生えたのは初めてだった。