松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
射撃はミリ単位の「静」なる攻防戦 「静止状態で自身と向き合う」水田光夏に修造、大いに共感する
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2021/03/07 06:03
初めてのエアライフル体験で10点満点を出した松岡さん。水田光夏選手にもほめられた
水田:新型コロナウィルスと就職が重なって、新しい生活環境になって、自分の中の優先順位が射撃よりも仕事をすることの方が上になってしまった期間が2〜3カ月ありました。
鳥居:彼女にとっては一つのターニングポイントだったし、コロナの影響で練習できなかったこともいいお休みになったと思いますよ。それでも2020年11月の全日本選手権では優勝して、けれども自身の目標にはちょっと届かなくて、それが悔しかったのでしょう。また東京パラリンピックに向けてどうやって競技力を高めていこうかと動き出してくれました。
松岡:ずっと燃え上がっていたら疲れちゃうから、いい意味で一回、心を安静にする時間になったんでしょうね。
同世代に興味を持ってほしい
松岡:光夏さんはパラ射撃という競技を通じて何を伝えたいですか?
水田:自分が競技をしているところを見てもらって、射撃に興味を持つ人が増えたらいいなと思います。射撃のことを知っている人って、そういないじゃないですか。私も競技をやる前は見たことも聞いたこともあまりなかったけど、ちょっと体験しただけで面白いなと思ったので。特に同世代にそう思ってもらえて、さらに競技に入ってきてもらえたりしたら、自分のモチベーションにもつながるんじゃないかなと思います。
松岡:この記事を読んでパラ射撃に興味を持つ方は増えると思いますよ。お母さん、光夏さんはよくここまで来ましたね。予想していましたか?
母:私自身は病気になった彼女に居場所を作ってあげたかった。自分は病気だからという引け目を感じさせないような確固たる居場所を。でも彼女が意志の強さを見せてくれて、「こんなに強いんだ」とびっくりして。私が生きている限りは全力でサポートしようって必死に動いてきました。ただし、病気だから可哀想と思ったことはないんです。手が動かなくてペンが持てないならパソコンの音声入力があるし、足が動かなくて歩けないなら車いすがあるって、それだけのことですから。
松岡:そうは言うものの、親としていたたまれなくなることも正直あるのではないですか?
母:そりゃ、一人でお風呂に入っているときとか運転しているときには号泣することもありますよ。内緒だけど。
松岡:それは、そうですよね。
母:彼女の前では絶対に泣きません。だけど、東京パラリンピックでメダルを獲っちゃったら泣きます。
松岡:それは絶対に泣いちゃう!
母:光夏〜、(メダルを)待ってるよー!
松岡・水田・鳥居:(笑)
(構成:高樹ミナ)
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水田光夏(みずた・みか)
1997年8月27日、東京都生まれ。中学2年生の春、手足の神経が麻痺し筋力が低下する進行性難病のシャルコー・マリー・トゥース病を発症。19歳から本格的にパラ射撃に取り組み始め、17年の全日本選手権で初出場ながら2位入賞。19年世界選手権ではエアライフル男女混合10メートル伏射で24位になり、東京2020パラリンピック日本代表に内定した。19年から全日本選手権2連覇中。20年3月に桜美林大学を卒業。白寿生科学研究所所属。