格闘技PRESSBACK NUMBER

「打撃なし“骨抜き”柔道で警察官は仕事ができるか!」100年前に“柔道vsボクシング”を企画したヤクザの思惑 

text by

細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

PROFILE

photograph byKYODO

posted2021/02/13 11:03

「打撃なし“骨抜き”柔道で警察官は仕事ができるか!」100年前に“柔道vsボクシング”を企画したヤクザの思惑<Number Web> photograph by KYODO

講道館柔道の創始者・嘉納治五郎(左)。約100年前の柔拳試合(柔道vsボクシング)を伝える神戸新聞

 そう証言するのは、御影町誌の編纂にも加わった、前出の甘玉猛である。

「私ら御影のもんは『健治さん』って親しみを込めて呼んでいました。『ピス健』なんて畏れ多くて呼びません。この辺の若いもんが出征するときは、菊正宗が壮行会を催すのが恒例で、私も支那に行く前にやってもらってます。健治さんも顔を出してました。嘉納の本家は、面倒があったときの番犬みたいに健治さんを使うてたように思います。ただ、本家も治五郎先生も、悪さを随分と揉み消しているらしい。それもあって、健治さんは柔道の普及運動を率先してやっていました。運営資金も随分と用意したそうですな。おそらく、罪滅ぼしの意味もあったんと違いますか」

 そう考えると、先の証言にもあったように、嘉納健治が灘中の運動会に毎年膨大な景品を寄付し、お抱えの人気力士を連れて参じていた理由も見えてくる。

 しかし、東京高等師範学校(現在の筑波大学)、旧制第五高等中学校(現在の熊本大学)で校長を務め、文部省参事官、貴族院議員、日本人初のIOC委員と、重職を歴任していたこの時期の嘉納治五郎にとって、甥とはいえ、やくざから資金を融通してもらっていることなど、そう明かすわけにもいくまい。

 そんな折、講道館の方向性を決定付ける事件が起きた。

 全米各地で他流試合を行い、「ワールド・ジュードー・チャンピオン」を自称した、アメリカのプロレスラーのアド・サンテルが来日するにあたって、講道館の柔道家に対戦を申し込んだのだ。

 世に伝わる「サンテル事件」である。

(#3につづく〈後日公開〉)
(【前回を読む】「山口組みたいなもん」「灘中の運動会で本物の実弾撃って…」日本にボクシングを広めた“大物ヤクザ”「ピス健」とは? へ)

●参考文献
『任侠百年史』藤田五郎著(笠倉出版社)
『古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉新装版』滝大作監修(晶文社)
『ボクシング百年』郡司信夫著(時事通信社)
『狂死せる高木徳子の一生』高木陳平著(生文社)
『舞踏に死す──ミュージカルの女王・高木徳子』吉武輝子著(文藝春秋)
『私がカルメン──マダム徳子の浅草オペラ』曽田秀彦著(晶文社)

『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社) 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社) 書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

関連記事

BACK 1 2 3 4 5
#沢村忠
#嘉納治五郎
#嘉納健治

ボクシングの前後の記事

ページトップ