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元巨人・高橋尚成45歳に聞く“プロ野球・契約更改のウラ側”「下交渉で初めて1億円と言われた日」

posted2020/12/24 17:06

 
元巨人・高橋尚成45歳に聞く“プロ野球・契約更改のウラ側”「下交渉で初めて1億円と言われた日」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

ジャイアンツ時代は宴会部長としてオフシーズンも活躍していた尚成さん(2002年日本シリーズ祝勝会で原辰徳監督と) ©Sankei Shimbun

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谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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Sankei Shimbun

巨人のエースとして一時代を築き、大リーグでも2ケタ勝利を挙げた高橋尚成さん。2015年、40歳のときにDeNAで現役引退。現在は再びアメリカに渡り、YouTuberデビューを果たした。その尚成さんに聞く“契約更改のウラ側”。(全3回の3回目/#1#2へ)

――オフシーズンということもあり、少しお金の話も伺いたいのですが……。

高橋 みんなお金が好きですね。僕もお金は好き、みんな大好きだから話しましょう。

――日本とアメリカでも契約についてさまざま違いがあるかと思います。まずは巨人時代の契約更改について。選手たちはどうやって交渉するのでしょうか?

高橋 交渉といっても、僕らはプロ野球選手なので交渉のプロではないんです。ですから、1人でハンコを持って臨みます。交渉の席に着いたら向かいに球団の方が2人。話がまとまらない時はさらに代表の方も出てくる、今だったらGMかな。だから威圧感はありますよ(笑)。

 新人時代に印象的だったのは、日本一になって日本シリーズの分配金が出たこと。それが小切手で渡されるんです。社会人時代に見たこともない金額ですから「うわ、プロってすごいな」と思うわけです。でも、そこから交渉は始まっていたんです。小切手で錯覚というか……それで丸め込まれちゃった。今考えたらもっと年俸を上げてもらった方がよかったなって(笑)。それは半分冗談として、1年目から良い評価をもらえたことはすごく嬉しかったですね。

「清武さんだけでなく、原監督にも直訴しました」

――活躍したシーズンは良いと思いますが、調子が悪かったり、怪我をしたりしたシーズンは交渉も難しくなります。そんなときはどんな対処法で臨んでいたのでしょう?

【次ページ】 「ペタジーニが一番条件をつけていました」

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