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元巨人・高橋尚成45歳に聞く“プロ野球・契約更改のウラ側”「下交渉で初めて1億円と言われた日」
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph bySankei Shimbun
posted2020/12/24 17:06
ジャイアンツ時代は宴会部長としてオフシーズンも活躍していた尚成さん(2002年日本シリーズ祝勝会で原辰徳監督と) ©Sankei Shimbun
高橋 そうですね。だから代理人にこれだけは譲れないという条件を伝えておく。そこまでの交渉は現在の日本の場合は難しいですよね。ただプロ野球でも外国人選手は必ず代理人がついているので、そういうシステムを設けるのも大事かもしれません。
これまで聞いた中で、ペタジーニが一番条件をつけていましたね。年俸ももちろん高額でしたが、インセンティブもかなり細かく契約していたようです。ホームランはもちろんですが、フォアボールを1回選んだらインセンティブが発生するとか。そこに試合数も入っていただろうし、あらゆる契約が盛り込まれていた。ペタジーニはボール球を振らないわけですよね(笑)。アメリカの場合はそういった細かい契約内容をすべて公表するんです。日本の場合は年俸も推定金額ですし、インセンティブの内訳もわからない。それも大きな違いですね。
下交渉で初めて1億円台と言われた日
――日本のプロ野球にもインセンティブはあるんでしょうか?
高橋 もちろん、あります。たとえば選手が1億円欲しいけれども、球団は8000万だと主張したとします。その2000万円分の差をインセンティブで埋める。これは僕もやったことがありますよ。
――なるほど。今年も若手期待の村上宗隆選手(ヤクルト)が1億円の大台に到達したことが話題を集めました。尚成さんは初めての大台が2007年オフだったかと思います。やはり1億円は特別なものなのでしょうか?
高橋 覚えていますよ。その時もある程度、下交渉を進めていたので「あ、1億円になったんだな」と。当時1億円プレーヤーは一流選手の証という認識があったので、やっと認められるような成績を出せたんだなと嬉しかったですね。
――お金の話ばかり、すいませんでした(笑)。また改めてアカデミーのお話などを聞かせてください。ありがとうございました。
(協力=株式会社Bitstar)
YouTube『高橋尚成のHISAちゃん』:(https://www.youtube.com/channel/UCAMXfvpILgkofiQFbYWeeZA)
(【前回を読む】原辰徳監督とお風呂で2人に…45歳高橋尚成が振り返る巨人時代「ヒサ、お前はすぐ調子乗るんだから」)