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「乾には何も教えるな」2005年度選手権優勝、野洲《セクシーフットボール》の陰にいた知られざる“天才軍師”
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byYUTAKA/AFLO
posted2021/01/05 06:00
高校生にして観客を楽しませることを意識していた野洲イレブン。決勝の先発メンバーから青木孝太、荒堀謙次、乾貴士ら6人がプロに
朝から夕方までつなぐ練習をやりまくった
だが、行き詰まったことで逆に岩谷の必要性が増す。新人戦前、岩谷は山本監督からアドバイスを求められた。「負けてもええからパス禁止でやってみたら」と伝えた。
「最初はそりゃないでしょって感じだったけど、やってみますわとなって。毎日ドリブル練習させて、新人戦ではパスせんとドリブルばっか。草津東に負けたけど、内容がうんと良くなった」
それでもインターハイも県予選で敗退したが、夏に転機が訪れる。山本監督が日本サッカー協会のB級コーチライセンス取得のため10日ほど離れることになり、その間、岩谷が初めてAチームを見ることになった。
「そこからガラッとチームを変えた。怒鳴りまくって、つなぎまくらせて、逆取らさせて、それだけをずっと練習させた。今までの分を取り返したろと思って、朝から夕方までつなぐ練習をやりまくった」
平原もついに来たと感じた。
「岩谷さんが指示し始め、ポジションも変えてテコ入れし、みんな自信を持ち始めた。僕はボランチからトップ下になって。監督が岩谷さんをリスペクトしているのが僕らにも伝わってきましたし、まず岩谷さんの言うことを聞いてくれみたいな感じでした」
決勝戦でゴールをアシスト「中川のスタミナを見てこいつだと」
山本監督が10月と12月にもライセンス取得のために離れ、岩谷イズムが急ピッチで叩き込まれていった。
もちろんセゾン組だけで成り立っているわけではない。山本監督は野洲高校の下部組織として「野洲クラブ」を立ち上げており、3バックのうち2人(田中、荒堀謙次)がその出身だった。青木、平原、乾、楠神らセゾン組が攻撃の中心となり、野洲クラブ組が守備を固める。2つが合わさり、最高のバランスが生まれた。