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「乾には何も教えるな」2005年度選手権優勝、野洲《セクシーフットボール》の陰にいた知られざる“天才軍師”
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byYUTAKA/AFLO
posted2021/01/05 06:00
高校生にして観客を楽しませることを意識していた野洲イレブン。決勝の先発メンバーから青木孝太、荒堀謙次、乾貴士ら6人がプロに
その頃、岩谷は山本監督から「コーチをやってくれませんか」と誘われていた。その4年前、田中大輔(元清水エスパルス)と前田雅文(元ガンバ大阪)がセゾンから野洲へ進んで活躍したのが縁だ。山本監督はセゾンの練習に熱心に通い、鬼才からの信頼を勝ち取った。
岩谷としても、思うところがあった。
「セゾンは中3まで。選手の行き先に10年くらい悩んでいた。高校で監督と合わず、辞めてしまう子も多かった。素材的にプロになると思っていた子が、過去に何人も潰れてる。自分でやるしかないと考えていた」
そんなとき教え子たちが「みんなで野洲へ行く」と言い始めている。岩谷は山本監督に「野洲の1年生、教えてやろか?」と話し、野洲のコーチになることが決まった。
「みんなにそう言うたら、進路の迷いもなくなるかなと思って。それでみんな一気に野洲へ行くとなった」
卒団式の日、選手たちが円陣を組んだ。
「絶対に選手権で優勝するぞ!」
まさかそれが実現するとは、当事者以外、誰も信じていなかっただろう。
「僕らは岩谷さんが行くから野洲を選んだのに」
だが、すぐに頂点へ向かってまっしぐらに進めたわけではない。
あくまで岩谷はコーチで、山本監督が責任者だ。岩谷は1年生中心のBチームの担当となり、Aチームにはタッチしなかった。
あるとき金本竜市(優勝時のキャプテン。小1からセゾン)が岩谷のところへ来た。
「いつAチームを持ってくれるんですか。僕らは岩谷さんが行くから野洲を選んだのに、全然教えてくれへん」
岩谷は即答した。
「急がんでも心配すんな。お前らは俺を信用して野洲へ来たんやろ。俺はちゃんと見てる。待っとけ」
当然、岩谷もAチームに関与したいと考えていた。平原や楠神が刺激を求めて自主的にBチームへ来ることもあったが、数人が来たところで限界がある。それでも岩谷は機が熟すのを待った。
「山本さんのチームなんやから立てなあかん。大人が上手にやっていくには引くところは引かな。見方を変えればプラスもあった。相手は普通の高校サッカーをやってくるんやから、それを自分たちでやるのも大事。最初からつなぐサッカーをやったらそこに慣れられない。それに中学で大分教えてるから最後に間に合わせる自信があった」
2年がすぎ、平原らは3年生になろうとしていた。その間、野洲は一度も県予選を突破できずにいた。