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鹿児島にまた“半端ない大迫”が! 柴崎岳を彷彿とさせる神村学園1年生・大迫塁は選手権で主役になる? 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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posted2020/11/30 17:01

鹿児島にまた“半端ない大迫”が! 柴崎岳を彷彿とさせる神村学園1年生・大迫塁は選手権で主役になる?<Number Web> photograph by Takahito Ando

選手権出場を決めた神村学園でエース番号14を背負う大迫塁。高校1年生ながら、すでにJクラブから熱視線を送られている

大迫勇也10ゴールの時は4歳

 鹿児島城西高校で選手権準優勝を果たし、歴代最多となる10ゴールを叩き出した大迫勇也。そんな活躍を見つめていたのが当時4歳の塁少年だった。父が切り盛りするラーメン屋に来る近所のお兄ちゃんたちに誘われてサッカーを始めた少年にとって、その活躍は眩しいものだった。

「大迫(勇也)選手が選手権で大活躍している姿を見て凄く興奮しました。僕は神村学園を選びましたが、鹿児島の代表としてあの舞台で戦いたいと思いました」

 大迫勇也がドイツへ渡ったのは14年、塁が10歳の時。神村学園中で「14番」を背負っていた18年はロシアW杯ベスト16進出を成し遂げ、再び日本中に“半端ないフィーバーを”巻き起こした時だ。成長過程において、大迫勇也の活躍は常に刺激となっていたようだ。

「W杯で点を獲った時の鹿児島県内の盛り上がりは凄まじかったです。テレビも新聞も何もかも連日、大迫選手の話題だし、もうみんなが我がことのように喜んでいた。僕も興奮したし、何より『サッカーで活躍することでここまでみんなが笑顔になるんだ』と思ったんです。僕もそうなりたい、もっと笑顔にしたいと」

「W杯で点を獲る」と語っていた大迫勇也

 年代別日本代表に入ったあたりから、同じ苗字の選手として大迫勇也を引き合いに出されることが増えたというが、本人はむしろ歓迎すべきことだと話す。

「全然、嫌じゃないですよ。鹿児島で大迫と言えば、大迫敬介選手(サンフレッチェ広島)もいますよね。2人とも高校時代、ユース時代から有名で、プロでもすぐに主軸として活躍していましたし、日本代表にも入っている本当に凄い存在。僕の向上心に火をつけてくれる存在です」

 続けて、高校時代の大迫勇也が「目標は選手権で活躍することではなく、プロの世界で活躍してW杯で点を獲ることです」と口にしていたことを覚えていると教えてくれた。その姿を見て、思いを言葉にする大切さを学んだ。

「そういうことを口に出すと、周りから『ビッグマウスだ』とか『偉そうだ』とか言われるかもしれませんが、勇也選手は口にするだけでなく、そこに向かっての努力し、意識を持ち続けた結果、現実のものにした。それこそが超一流の選手だと思う。僕も勇也選手のように『W杯で優勝するメンバーの1人になる』ということを口に出して、それのために必要な努力をやり続けたい。『大迫』という苗字で引き合いに出されるなら、そこまでちゃんと見習わないといけないなと思っています」

【次ページ】 遠藤航やチマのボールを奪うプレー

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