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佐藤駿vs鍵山優真vs“お兄さん世代”、フィギュア北京五輪切符を見据えた戦いが始まった
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by Sunao Noto, Nobuaki Tanaka
posted2020/11/11 11:05
ライバル鍵山優真を抑え、東日本選手権で優勝した佐藤駿
友野を強く意識し、意地をみせた山本
一方で、友野との対決を強く意識し、意地をみせたのは山本だった。ショートは、4回転サルコウで転倒、トリプルアクセルも着氷のミスがあり77.07点での2位発進。演技後は、声を震わせるほど悔しさが溢れた。
「この試合はとにかく『勝ちたい』という気持ちだけで来ました。フリーはしっかり『勝つんだ』という気持ちで臨みたいです」
山本は、ジュニア時代は国際大会の表彰台の常連で、18年平昌五輪への出場も期待される選手だった。しかし16年世界ジュニア選手権の直前、練習中に骨折。そこからスケート人生が大きく一変した。
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「僕がジュニアで結果を残せていたころは『絶対に勝つんだ』というスタンスで試合に臨めていました。でも怪我をしてからは結果を獲れる自信は失っていました」
2度の骨折と3度の手術を経て、17-18シーズンから復帰。昨季の全日本選手権では4年ぶりに4回転を成功させた。その山本がこの試合で『勝つ』と宣言したのは、並々ならぬ過去を背負ってのことなのだ。
「ひたすら練習で逃げずに努力して」
気迫をみなぎらせて氷に降りたフリーは、演技冒頭の4回転サルコウを耐え、続く4回転トウループも成功。演技後半は疲れから綺麗な着氷はできなかったが、パンクは1つもなかった。
「前半で全部のジャンプを回せた事で、『後半もしっかりやらないと』という緊張が出てしまいました。でも身体が動かないなかで、何とか回転だけは回しきって、踏ん張った演技になりました」
踏ん張れた要因を、山本はこう話した。
「昨日のインタビューで『なんとか勝つんだ』と言えたことですね。そう言ったんだから、というのが頭の中にあって、後半に疲れて身体の感覚が分からなくなってからも、パンクだけはしないというのを有言実行できました」
221.22点で、友野を逆転しての優勝。興奮を冷まそうと大きな深呼吸をすると、この4年を振り返ってこう漏らした。
「怪我のあとは厳しい道のりでした。ひたすら練習で逃げずに努力して、この西日本選手権まできました。最近わりと自分に自信が持てるようになって、怖い物がなくなってきたので、だいぶ気持ちがジュニアの頃の自分に戻って来れたのかなと思います」
4年かけて取り戻した強気の姿勢を、もう二度と失うことはないと誓っている様に見えた。