Number ExBACK NUMBER
“スポーツマンNo.1”照英が語る青春時代と室伏広治との再会「ずっとシルバーメダリストでしたから」
text by
谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/11/11 11:03
「オリンピックも出たかった」という陸上を諦め、モデルの道へ。キャスターとして再会した室伏広治からかけられた言葉とは?
室伏広治が見せてくれたメダル
――そこからモデル業も軌道に乗り、芸能界へ。『筋肉番付』や『スポーツマンNo.1決定戦』ではその身体能力を発揮されました。「ショットガンタッチ」で総合優勝を決めた後、号泣しながら「小指が僕を救ってくれました」というコメントは記憶に残っています。
ありがとうございます! 嬉しいですね。あれからもう20年ぐらい経つのに今でも「当時、見ていました!」と声をかけていただけることが多いんです。中学時代の先生が「走りもジャンプもやっとけ」と言ってくれたおかげで総合1位になれました(笑)
――そこからキャスターのお仕事もされています。そこで室伏さんとも再会を果たしたそうですが。
よく覚えているのは、カナダ・エドモントンで開催された世界陸上です。ちょうど『スポーツマンNo.1決定戦』で優勝した時ぐらいだったと思うんですけど、コウジとの関係もあったので現地のキャスターに選んでもらいました。
スタジオの織田裕二さんに「エドモントンの照英さーん」と呼ばれて出てくる感じ(笑)。その大会で日本人初のメダルを獲得したコウジがマスコミの取材よりも先に、サブトラックにいた自分に銀メダルを見せに来てくれた。「テル、取ったよー!」って首にかけてくれたんです。「お前も『照英』という名前でTVに出て、認知されてよかったな」と。
陸上を離れましたが、同志として思ってくれていたんだと思うとこみ上げるものがありました。アテネ五輪でも金メダルを記念したTシャツをもらいましたが、今でも大切に保管していますよ。
――室伏さんとは最近はお会いになりましたか?
競技場で選手たちの取材をしていた時、スーツを着て颯爽と過ぎ去っていくコウジに「久しぶり!」と声をかけたぐらい。今や長官ですから気軽に電話できないですよ(笑)。
コウジだけではないですが、一緒に戦った仲間や先輩たちが活躍していることは嬉しいです。キャスターとして参加させてもらっていると、監督になっている同級生たちに「スポーツ界に帰ってこれたんだな」と言われる。本当にありがたいです。
――現場に行くと、アスリートとしての思いが疼くのではないですか?
そうですね。とある番組をきっかけにまた火がついちゃいました(笑)
【続きを見る!】#3 照英、45歳。全日本マスターズ優勝!再びアスリート魂に火がついた理由
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。