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“スポーツマンNo.1”照英が語る青春時代と室伏広治との再会「ずっとシルバーメダリストでしたから」

posted2020/11/11 11:03

 
“スポーツマンNo.1”照英が語る青春時代と室伏広治との再会「ずっとシルバーメダリストでしたから」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

「オリンピックも出たかった」という陸上を諦め、モデルの道へ。キャスターとして再会した室伏広治からかけられた言葉とは?

text by

谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

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photograph by

Hideki Sugiyama

#2では照英さんのやり投との出会い、学生時代を振り返ります。モデルの世界、芸能界へ飛び込んだ理由、そしてキャスターとしてスポーツ界に舞い戻った照英さんに室伏広治氏がかけた言葉とは? 全3回の#2(#1#3はこちら)

――照英さんが陸上を始めたきっかけは?

 陸上を始めたのは中学時代。野球を続けようと思っていたところに、陸上部の先生から「かけっこが速かったらしいな。陸上をやらないか」と誘われたのがきっかけでした。

 元やり投選手だった先生に走りもジャンプもやったほうがいいと、3種競技A(100m・走高跳・砲丸投)という混成競技を勧められ、やり投を教えてもらったのは中学校卒業前ぐらい。今となっては、私にやり投に必要な能力を身に付けさせたかったんだろうなと思います。

 高校はその先生の恩師がいる鴻巣高校に。高1から記録が出て、国体やインターハイ、ジュニアオリンピックなども経験させてもらいました。

――やり投には走力や跳躍力が欠かせないのですね。

 よく「走跳投」と言われますけど、やり投げは特にバネが重要。重いものを投げるというよりは、バチンと弾くイメージ。縮めたバネがビュンと跳ね上がるような瞬発力を持つ選手が強いと言われています。だから高校時代は小さかったり、痩せている人でもバネがある選手は記録を出せるんです。

 高校では砲丸投、円盤投も経験させてもらって、本格的にやり一本に絞ったのは大学から。もちろんオリンピックは夢でしたが、少し記録が足りなかったですね……。でも学生時代はそれなりの戦いができていたかなと思います。

――最高位は?

 2位ですね。私はずっとシルバーメダリストですから(笑)。大学時代のインカレでも、広島国体でも2位。その1番が先ほど話をした中京大の植(徹)選手です。彼がいなければ全部勝っていたかもしれません。

やり投界の底上げ、北口榛花はもっと飛ぶ

――現役時代のベストは?

「73m90」。現在の日本選手権に出ても、決勝には残れる数字じゃないかな。

 最近のやり投界も底上げされていますよね。2010年代に入ってから80m台を投げているのは新井涼平選手、村上幸史さん、大学時代に84m28を記録したディーン元気選手とたくさんいます。世界のレベルは高いですが(世界記録はチェコのヤン・ゼレズニーの98m48)ここ1、2年でも記録を出している選手もいて、とても楽しみです。

――女子では昨年、日本新記録(66m00)をマークした北口榛花選手もいますね。

 彼女も頑張ってますよね!  実際お会いしてお話をしたらすごく素朴な女の子。でもまだ荒削りな印象があります。自分が言うのもあれですけど、助走をもっと改善すれば絶対にもっともっと記録が出ますよ。70mに届くのではないでしょうか。

 やりを振り切る力、投げる力がついていっていないからあの助走スピードなだけで、もっとスピードが上がれば絶対に出ますね。他の投てき種目はパワーをつければある程度記録が伸びる。でもやり投は唯一走力が求められる種目なので、力だけじゃ飛ばないんです。

――専門的なお話を聞くと、なおさら室伏さんの記録はすごいですね(#1参照)

 彼がやり投げを本気でやったらすごかったでしょうね。大学時代はコウジがやり投に転向したら困るねとよく話していましたから。

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