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ハミルトンが超えて行くシューマッハの偉業 トスカーナGPで感じた時代の「継承」 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2020/09/25 11:30

ハミルトンが超えて行くシューマッハの偉業 トスカーナGPで感じた時代の「継承」<Number Web> photograph by Getty Images

決勝前のデモ走行で最強V10サウンドを轟かせたミハエルの息子ミック。'19年からF2参戦中だが来季以降のF1参戦も取り沙汰されている

「僕がレースすることを母も望んだはず」

 もうひとつ、ブラウンが挙げたのが「非情なまでの勝利への執着心」だ。

 03年のサンマリノGPではこんな不幸がシューマッハを襲った。土曜日の予選後に母親の病状が急変。シューマッハは母親の病床を訪れるためサンマリノGPが行われていたイタリアからドイツに帰国した。しかし、シューマッハの介抱も甲斐なく日曜日の未明に母親は家族に見守られながら息を引きとった。チームは欠場も覚悟したが、シューマッハは日曜日の朝にイタリアに戻りレースに出場した。

「僕がレースすることを母も望んだはずだ」と強い決意でレースに臨んだシューマッハは見事優勝。勝利を天国の母に捧げた。

セナの死を見つめた最後のライバル

 シューマッハが「非情なまでの勝利への執着心」を持っていることを私たちが知ることとなったもうひとつの出来事は、00年のイタリアGPだろう。この勝利で41勝目を挙げたシューマッハは、憧れだったアイルトン・セナの勝利数に並んだ。

 レース後の会見で司会者から「これでセナの持つ通算41勝に並びましたね。この勝利はあなたにとって、どんな意味を持ちますか?」と尋ねられると、シューマッハは「そうだね、この勝利は僕にとって大きな意味を持つ……」と言った直後に言葉をつまらせ、突然泣き出してしまった。

 シューマッハにとってセナは単なる憧れ以上の存在だった。94年にセナがサンマリノGPで事故死したとき、シューマッハはその直後を走り、セナと最後に優勝を争っていたライバルでもあった。セナの死後、シューマッハは自らのヒーローを失った悲しみを乗り越えながら戦っていただけでなく、セナ亡き後のF1界を背負うというプレッシャーとも戦わなければならなかった。そしてそれに打ち克つために、シューマッハはあるときから「非情なまでの勝利への執着心」を纏ってレースするという選択肢を選んだように思う。

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