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渡辺明が棋聖戦直後に新幹線で語っていた、藤井聡太の“違いすぎる終盤力” 「現状では藤井さんに勝つプランがありません」
text by
大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph byWataru Sato
posted2021/06/05 17:01
17歳の才に屈した渡辺明は、1カ月後に悲願の名人位を獲得した
「ミスの重みがいつもとは違うんですよ」
4日後に話を訊くことができた。渡辺は「名人位を意識することはなくなっていたんです」と静かに語った。
「もちろん獲りたかったですよ。でも30代半ばを過ぎても一度も挑戦したことがなかったし、自分には縁がない棋戦なのかなと思うようになっていました」
藤井に棋聖を奪われた後、どのような心境で名人戦に向かったのか。
「同時期に行われていた名人戦と棋聖戦をセットで考えていたので、落ち込むことはなかった。2つ負けたら痛いけど、まだ1つでしたから」
渡辺の中で、名人に対する特別な意識は薄れつつあった。となると第6局で勝利に近づいた瞬間も感慨などはなかったのか。
「ありましたね」
私は思わず身を乗り出した。
「自分の年齢を考えれば、負けたら今後、名人戦に出られるかどうかはわからない。だからミスの重みがいつもとは違うんですよ。終盤では普段よりも明らかに決断が鈍ったし、迷ったところもありましたね」
自らの敗戦をまるで他人事のように語ってしまう渡辺を揺り動かすほどの重みが、名人位にはやはりあったのだ。
取材で彼の湿り気を帯びた吐露を聞くのは初めてではないか。胸が詰まった私は次の質問をすぐに切り出せなかった。
「だから次は普通にやりますよ」
名人を通算5期獲得すれば永世名人の称号を得られる。木村義雄、大山康晴、中原誠、谷川浩司、森内俊之、羽生善治といった巨人たちが獲得してきたものだ。
現在、順位戦B級2組に在籍する藤井聡太が名人戦に登場するのは最短でも3年後だ。渡辺の永世名人ロードに立ちはだかる予感も大いにある。すると渡辺は遮るように言った。
「名人位すら意識したことがなかったので、永世名人はまったく(笑)。よく質問はされるけど正直、関心は薄いですね。自分は永世称号を2つ持っています(永世竜王と永世棋王)。2つと3つの差はほとんどないですよ。0と1は大きいけど」
棋士の実績はタイトル獲得数と棋戦優勝の回数。普段からそう公言する渡辺らしく、数字を用いて説明した。無を有にしていくことに、何より重きを置いているのだ。
最大の注目は、1カ月前の敗北の夜、「プランがない」と語った藤井との再戦だ。
「次は普通にやります」
渡辺は一呼吸おいてから続けた。
「棋聖戦は藤井さんとのタイトル戦初対戦だったので、向こうの情報はほとんどなかった。でも番勝負で指して分かったこともある。だから次は普通にやりますよ。何度も負かされ続けたら自分の将棋をガラッと変えることも考えるでしょうけど」
藤井と再び相まみえるのは遠くない未来だろう。おそらく私はまた、取材を依頼するはずだ。その時、渡辺は負けた場合のことを伝えてくるのだろうか。