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ドジャース広報の“ノモサン”愛と
ノーヒッターの夜の仰天エピソード。
posted2020/08/23 11:50
text by
笹田幸嗣Koji Sasada
photograph by
AFLO
『こんな夜に野茂英雄が読みたい』。Number最新号の発行にあたり、当時の衝撃を知る人に話を聞いて欲しい。編集部の意向を受け、デリック・ホール氏にコンタクトしたのは7月末のことだった。すると彼は二つ返事で取材を快諾してくれた。
あれから25年が経った。1995年当時はドジャース広報部の職員だったデリック(あえて敬意を込めファストネームで書かせて頂く)は現在、ライバル球団であるアリゾナ・ダイヤモンドバックスのCEO兼社長のお偉いさま。当時から日本人記者の我々の気持ちを汲み、真摯に対応してくれたナイスガイだったが、立場が変わってもその姿勢はまったく変わらない。
インタビューは取材というより、ふたりの“野茂さんフリーク”が昔話に花を咲かせた。そんな楽しい時間になった。
「同い年だけど、私の憧れでもあります」
デリックは日本語で「ノモサン」と呼ぶ。その語り口は愛情に溢れ、敬意がいつも込められている。
「彼とは同い年です。彼ほどに信頼できる選手、友人はいません。私の憧れでもあります。25年が経った今でも彼は変わりなく接してくれる。真の友人だと私は思っています」
自分が背負うものの大きさを自覚していた。
1969年2月17日に米国で生まれたデリックは、ノモサンと同級生に当たる。'95年のシーズン開幕時はともに26歳の若き青年。その後、ダイヤモンドバックスの球団社長まで昇り詰めたわけだが、デリックはノモサンの開拓者魂に心を打たれた。その生き様は彼自身のお手本にもなったと言う。
「ノモサンは純粋に米国の野球が楽しみたかったという気持ちもあったでしょう。ただ口数は少ない人ですが、自分が背負っているものの大きさを常に自覚していたように思います。
日本の選手に道を切り開き、世界中の選手にメジャーへの門戸を開いたのは間違いなく彼です。志を持った選手はたくさんいましたが、結果なくして道を切り開くことはできません。ノモサンはその責任を果たそうとしていた。とても大事なことだと思います。当時のチームメイトもよくノモサンがなぜ素晴らしい投手なのかを私に話してくれました。チームリーダーのエリック・キャロス(一塁手)の言葉も忘れられません」