ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
DDTとノア統合。企業プロレス30年。
メガネスーパーの志と週プロの妨害。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/08/03 17:00
1991年、SWS創立1周年記念試合のリングに上がった天龍源一郎(左)と阿修羅原。
「悪」のレッテルを貼られたSWS。
1989~90年といえば、バブルの真っ只中。本業以外に不動産等でも莫大な利益をあげていたとされるメガネスーパーには、それが可能だと思われたのだ。事実、メガネスーパーはプロレス界参入にあたり、60億円ともいわれる資金を用意。最終的には99億円もの大金を投じたという。
当初、田中社長の頭の中には、新日本、全日本、UWFのトップ選手たちが、メガネスーパーが作った統一のリングでしのぎを削り、真のメジャースポーツへと成長していく姿があったに違いない。
しかし、SWSは設立発表と同時に逆風にさらされる。全日本プロレスのトップで人気絶頂だった天龍源一郎を事実上、引き抜きというかたちで獲得したことで、ファンの反発を呼んだのだ。
さらに、天龍離脱で全日本が窮地に追い込まれたことで、『週刊プロレス』編集長だったターザン山本が、“馬場側”に付いてSWSバッシングを展開。天龍を「金で動いた」と断罪し、SWSを「金権プロレス」と呼び、毎週ヒステリックなまでに批判を展開した。この週プロの極端な報道を当時は多くのファンが支持し、SWSはスタートから「悪」のレッテルが貼られることとなったのである。
商店街を守るための反対運動。
今の価値観でいえば、ファンが天龍ではなくターザン山本を支持するというのは理解しがたいかもしれない。しかし、当時のファンは高校生や大学生といった若者が中心。インターネットが発達した現在のファンより、よく言えば純粋であり、悪く言えば“プロレスファンのバイブル”であった週プロをある程度無条件に信じてしまうところもあった。
また、ファンは新日本、全日本、UWFという既存の団体を愛しており、メガネスーパーはその世界を壊す侵略者に映ったことだろう。それによって、地域の商店街を守るための巨大ショッピングモール進出反対運動のようなことがプロレス界で起こったのだ。
こうして当時、前田日明と並ぶプロレス界最大のヒーローだった天龍源一郎が、巨大資本に魂を売った裏切り者に仕立て上げられたのである。