熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
ペレは英雄、「マイアミの奇跡」で
GKジダは?ブラジル特有の人種問題。
posted2020/07/29 17:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
REUTERS/AFLO
ブラジルのフットボールの歴史は、黒人や褐色の肌の選手を抜きにしては語れない。
南米の国際大会でまだウルグアイ、アルゼンチンに歯が立たなかった20世紀初頭、この国に最初に出現したスーパースターがアルトゥール・フレーデンハイシである。
父親がドイツ系で、母親が黒人。父から緑色の目を、母から褐色の肌と縮れた黒髪を授かった。
スピード豊かなドリブルで相手守備陣を切り裂き、両足から強烈なシュートを叩き込む。その敏捷性の高い身のこなしから、南米他国の選手たちは「エル・ティーグレ」(タイガー)と呼んで恐れた。
アルトゥールは1909年から1935年までの27年間に、558得点をあげたとされる(Orlando Duarte著『Fried versus Pele』より)。ブラジル代表でも中心選手で、1919年と1922年の南米選手権を制覇した。
この男の出現で、ブラジルでは「黒人はフットボールに向いている」というイメージが形成されたという。
ジジーニョ、そしてキング・ペレ。
1950年の自国開催ワールドカップ(W杯)のエースは、黒人MFジジーニョだった。
小柄だがドリブルが巧みで状況判断に優れ、決定的なパスを繰り出し、自らもゴールを決めた。優雅なプレースタイルから、「メストレ」(マエストロ/名手)と称された。
ブラジルのフットボール史上最大のスターは、もちろんキング・ペレだ。
15歳10カ月でサントスからデビューし、驚異的なテクニックとスピードを発揮して国中に衝撃を与えた。
17歳で迎えた1958年W杯で、チーム最多の6得点をあげて初優勝の立役者となり、世界中で知られる存在となった。1962年W杯では、マーカーから犯罪的なファウルを受けて負傷し、出場は2試合(1得点)にとどまった。しかし、29歳で迎えた1970年大会でも攻撃の要として優勝に貢献。W杯を3度制覇した世界でただ1人の選手である。
サントスでは、1962年にベンフィカ(ポルトガル)を、1963年にACミラン(イタリア)を下して2年連続でクラブ世界一。1367試合に出場して、1282得点を記録したという(前掲の『Fried versus Pele』より)。