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<オリンピック4位という人生(13)>
北京五輪 バド女子スエマエペア 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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posted2020/07/19 09:00

<オリンピック4位という人生(13)>北京五輪 バド女子スエマエペア<Number Web> photograph by AFLO

中国ペアを倒し、北京五輪で4位に入賞した“スエマエペア”。2人の活躍が現在の日本バドミントンの隆盛に繋がっている。

末綱はフクヒロのコーチ、前田は母に。

 '13年に第一線を退いた末綱は今、東京五輪でメダルが期待される福島由紀、廣田彩花らのコーチを務めている。

《この中からひとりでも多くオリンピアンが出ればいいなと思いますし、私自身、バドミントンを突きつめていきたいんです》

 一方、'17年に引退した前田はこの春、第一子を出産して母になった。その傍ら解説業や母校のバドミントン部を指導するなど、五輪を伝える活動をしている。

《ひとりでも多く、普段はオリンピアンと触れ合うことができないような場所にいる子供たちにも、オリンピックの素晴らしさ、楽しさを教えてあげたいんです》

 ふたりはそれぞれの道をオリンピアンとして歩いている。

 彼女たちにメダルはない。

 末綱はあのゲームの夜、選手村の食堂で居合わせた中国ペアに恐る恐る声をかけて一緒に撮った写真を大事に持っている。

 前田はあの日に使ったシューズやラケット、ユニホームを飾っている。

 メダルに代わる形あるものといえば、そういうことになる。

 ただふたりを完全なオリンピアンたらしめているのは、あの無心のラリーであり、北京のコートにこぼした涙だ。

 本当の意味でオリンピアンを満たすものとは形ある何かではないのかもしれない。
彼女たちの人生がそう物語っている。

 ロンドンで藤井瑞希と垣岩令佳が銀メダルを獲った。リオでは高橋礼華と松友美佐紀が金メダルに輝いた。それによって北京のあのゲームは、日本バドミントン界にとっての大きなターニングポイントとして語られるようになった。

 ただ、末綱にも前田にもいまだその実感はないのだ。

末綱聡子(バドミントン)

1981年1月30日、大分県生まれ。小学2年生でバドミントンを始め、昭和女子高ではインターハイと選抜のダブルス2冠達成。'99年NEC SKYに入社。'11年には前田と世界選手権3位に。'13年代表引退、福島由紀、廣田彩花らのコーチを務める。

 

前田美順(バドミントン)

1985年10月14日、鹿児島県生まれ。小学1年生でバドミントンを始め、熊本中央高ではダブルスで選抜を優勝。'04年NEC SKYに入社、垣岩令佳とのペアでも'14年世界選手権で3位に。'17年の現役引退後は、母校での指導や解説を中心に活動。

 ◇ ◇ ◇

<この大会で日本は…>
【期間】2008年8月8日~8月24日
【開催地】北京(中華人民共和国)
【参加国数】204
【参加人数】10,942人(男子6,305人、女子4,637人)
【競技種目数】28競技302種目(10kmマラソンスイミングなどが追加)

【日本のメダル数】
金9 北島康介(平泳ぎ100m、200m)、谷本歩実(柔道63kg級)など
銀8 体操男子団体、太田雄貴(フェンシング・フルーレ個人)など
銅8 永井清史(ケイリン)、中村美里(柔道52kg級) など

【大会概要】
大気汚染を懸念した欧米勢など20カ国以上が大会前の調整を日本で行なった競泳で高性能水着「レーザー・レーサー」を着用するスイマーが続出。マイケル・フェルプスが7個の世界新記録を樹立、史上初の8種目で金メダルを獲得した。日本勢は、伊調馨(レスリング63kg級)、石井慧(柔道100kg超級)らが金メダル。

【この年の出来事】
リーマンショック。年越し派遣村が開設。映画『崖の上のポニョ』が大ヒット。

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