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永田裕志の人生を変えた「10.9」。
Uインターではなく新日本入りの理由。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2020/07/10 11:40
10.9の第1試合、日体大レスリング部出身の永田(右)と、1歳下で中央大レスリング部出身の桜庭は激しい攻防を見せた。
UWFが分裂、新日本がスカウトに。
しかしUWFは、永田の大学卒業前に選手とフロントの対立などもあり崩壊。その後、Uインター、リングス、藤原組の3派に分裂してしまう。
「UWFが分裂してしまったあと、練習場所がなくなった田村選手が後輩の垣原賢人選手を連れて、『今、道場がないので、また練習させてほしい』って来たんです。その時、ちょうど冬休みで授業はないし、僕も卒業前で体が空いていたので、監督に言ったら『どんどん使わせなさい』ということで。田村選手、垣原選手がウチに通って、僕がそれを見るようになったんですね。
なので練習後はたまに食事をしたり、そういった交流もあったんです。当時の僕はオリンピックに出ることしか考えていませんでしたけど、彼らとお会いしたことで、自分の中で眠っていた『プロレスラーになりたい』という気持ちが大きくなっていった気がします」
その後、田村と垣原はUインターに旗揚げから参加。永田は1992年のバルセロナオリンピック出場に向けて邁進していくが、その夢がついえた時、スカウトに来たのは新日本プロレスだった。
口説き文句は「稼がなきゃしょうがないよ」。
「僕は『オリンピックが終わったら、プロに行きたい』って公言していたんですよ。それを当時、新日本でスカウトを担当していた馳(浩)さんが耳にして。僕が(1992年)3月の全日本大会で優勝した翌日、仲間の応援に会場に行ったとき、ちょうど当時闘魂クラブ所属だった中西(学)さんと石澤(常光)が決勝戦に出ていたんで、馳さんとタイガー服部さんに声をかけられたんです。『プロになるなら、Uインターではなく、ウチを選んでほしい』って。
服部さんからも『UWFのような月に1回しか試合をやらないところじゃなくて、ウチみたいにドーム大会とかバンバンやるところに来たほうがいい。この世界はビジネス。稼がなきゃしょうがないよ』って、服部さん独特の言葉で口説かれましたね(笑)」