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<ミスマッチが生んだ名人戦>
天龍源一郎「サベージが俺に活路を開かせた」

posted2020/07/10 08:00

 
<ミスマッチが生んだ名人戦>天龍源一郎「サベージが俺に活路を開かせた」<Number Web> photograph by Essei Hara

1990.4.13 天龍源一郎×ランディ・サベージ(東京ドーム 日米レスリングサミット)普段は観客にアピールしない天龍が吠える。豪快なパワーボム決着に、放送席のゲスト松山千春も興奮した。

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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Essei Hara

ミスター・プロレスと呼ばれ、数々の名勝負を生んだ男が「俺にとってのベストバウトだ」と言い切る試合がある。水と油。当初は本人ですら噛み合わないと思っていたアメリカンプロレスの象徴との一戦で、ドームが揺れた。(Number1006号掲載)

 天龍源一郎は日本一の“名勝負男”だ。

 東京スポーツ新聞社が毎年選定する「プロレス大賞」において、天龍は年間最高試合賞を9度受賞。堂々の歴代1位であることも、そのひとつの証明と言えるだろう。

 そんな天龍の数ある名勝負の中でも特別な意味を持つ試合が、1990年4月13日、東京ドームで行われた『日米レスリングサミット』でのランディ・サベージ戦だ。この一戦は、単に大観衆を沸かせたというだけでなく、のちのプロレス界と天龍自身に多大なる影響を与えた、エポックメイキングな試合なのである。

 天龍vs.サベージが行われた『日米レスリングサミット』は、アメリカのWWF(現WWE)と全日本プロレス、新日本プロレスによる、日米メジャー3団体合同興行という画期的な大会だった。

 WWFのビンス・マクマホン代表は、'84年から全米マット制圧に乗り出し、'80年代末にはそれをほぼ成し遂げたことで、次の標的として日本市場への本格参入を画策した。しかし、独自のプロレスがしっかりと根付いている日本で、いきなり単独進出は困難と考え、全日本の総帥・ジャイアント馬場に共催を持ちかけたのだ。

 これに対し馬場は、WWFと全日本の共催ではなく、新日本を加えた3団体合同という形での開催を求めた。そこには、全日本と新日本が協力関係であることを暗に示すことで、WWFの日本市場本格進出を牽制する意味合いがあったとされている。3団体共催であるはずの『日米レスリングサミット』が、日本テレビ『全日本プロレス中継』の特番として放送されたのは、この大会がもともと全日本とWWFの共催だったからなのである。

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