サムライブルーの原材料BACK NUMBER
元教師で今はJリーガー兼営業マン。
異色の経歴、FC今治・中野圭に聞く。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byFC Imabari
posted2020/06/26 17:00
主力選手の1人として活躍しながら、地元スポンサーへの営業回りも続ける中野。いよいよJ2昇格をかけたリーグ戦が始まる。
大卒後、モンテディオ山形に入団。
だが忙しい日々に充実を感じており、それがサッカーに活かされているのだと彼は言い切る。
「仕事をすることで、練習により集中できている感覚が僕のなかにはあります。限られた時間で、しっかりやらなければなりませんから。たまに練習中に、きょうはあの会社に行ってみようかなとか考えたりすることもありますけど(笑)」
サッカー人としてずっと追いかけてきた夢があった。
それはJリーグで活躍すること。
松山市出身の中野は高知大を卒業後の2010年に、当時J1のモンテディオ山形に入団。2011年10月16日の柏レイソル戦でリーグデビューを果たした。残り10分での投入であったが、オーバーラップして攻撃で見せ場をつくった。しかし次のチャンスが訪れることはなく、3年で戦力外となった。
「1試合しか出ていないから、凄く覚えています。わずか10分でしたけど、楽しかったですね。いつかあの晴れやかな舞台に戻って、活躍したいという思いはずっと持ち続けてきたつもりです」
定時制高校の体育教師に就任。
ただ、Jリーグは一度遠ざかる。JFLの佐川印刷で2年間プレーしてベストイレブンにも選ばれた。それなのに気持ちはセカンドキャリアのほうに傾いていた。
大学時代に体育の教員免許を取得しており、高校時代の恩師から「そろそろ教師になることを考えるべきじゃないか」との言葉を受けた。愛媛は地元開催の国体を控えており、選手や指導者として活動するスポーツ専門員を募っていた。とはいえサッカーを続けたいとの思いは消えなかった。
実は二足のわらじはここから始まった。
2015年、岡田がオーナーを務めることになった当時四国リーグだったFC今治でプレーしながら県の職員として高校の部活を指導する生活を送ることを選んだ。翌年には採用試験に合格して定時制高校の体育教師に就任した。
チームの午前練習が終わったら、午後1時には出勤。午後9時半まで授業をこなしてから夜遅くに帰宅という毎日を送る。