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井上康生は無敵のヒーローだった。
2003年、世界選手権の「背中」。 

text by

田中慎一郎

田中慎一郎Shinichiro Tanaka

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photograph byShinichiro Tanaka

posted2020/06/23 17:00

井上康生は無敵のヒーローだった。2003年、世界選手権の「背中」。<Number Web> photograph by Shinichiro Tanaka

オリンピックで1度、世界選手権で3度の金メダルを獲得した井上康生は、まさに最強の名にふさわしい柔道家だった。

審判の間から撮った完璧な1枚。

 試合内容も圧巻だった。

 決勝を含め、全て一本勝ち。消極的な姿勢に与えられる指導も一度もなく、完璧な柔道を展開した。

 さらに私の幸運は続く。

 柔道に限らず、相撲やレスリング、ボクシングなどの格闘技では勝負を決する決定的な場面を撮れるかどうかは大きく運に依存する。投げが決まった瞬間でも、パンチが顔面を捉えた瞬間でも、勝者の顔が全く見えていなければ、写真としては「威力」半減である。

 決勝でフランスのジスラン・ルメールを下した一本は、審判の間をぬって完璧な1枚になった。

 裏話ではあるが、報道陣用の撮影ポジションからは、決勝の一本の瞬間、井上康生の背中しか捉えられなかったという。

悠然と会場を去る井上の背中。

 そして、のちに私の代表作になる1枚を撮る瞬間がやって来た。

 会場全体を背景にした試合後の礼を広角レンズで撮影した後、私は望遠レンズに持ち替えてアリーナ席の柵から身を乗り出した。

 手前に、膝に手をつき肩で息をするルメール、それを気遣うフランスのコーチ。

 そしてその向こうに、悠然と会場を去る井上康生の背中があった。

 大会終了後、東京への新幹線終電に乗りそびれた私は急遽ホテルを探してコンビニで買った缶ビールと枝豆でひとり祝杯をあげた。もちろん、カメラの小さな液晶画面で何度も世界最強の柔道家の背中を見返しながら。

【次ページ】 引退、そして監督としての偉業。

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