“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
「逆にすごいな!」中村憲剛も驚く、
川崎内定ボランチ橘田健人の感覚。
posted2020/06/19 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
見れば見るほど、不思議な魅力に惹きこまれていく――。
桐蔭横浜大のMF橘田健人(たちばなだ・けんと)の川崎フロンターレへの加入内定が先日、発表された。
鹿児島県の強豪・神村学園高では1年時からエースナンバーの「14番」を託され、独特のリズムを刻むドリブルと、柔らかなラストパスを繰り出すトップ下のアタッカーとして活躍。大学に入ると、1年時は左サイドバックを経験し、さらにプレーの幅を広げるべく、2年時にはボランチにコンバート。サイドや中盤の底からテンポ良い配球を見せる一方で、相手の激しい寄せに対してもひらりとかわし、そのままゴール前まで運んでいくドリブルに磨きをかけた。
スピードに乗っても、バランスが崩れても。
筆者が彼を初めて見たのは高校時代。当時の神村学園には橘田の1学年下に現在J2ギラヴァンツ北九州で10番を背負う高橋大悟がおり、正直に言えば“高橋目当て”に足を運んだ記憶がある。だが、試合が始まると、すぐさま彼の動きに目が留まった。 トップスピードに乗った状態でも、バランスを崩された状態でも、決して倒れない。「14番」が作り出す独特な間や、相手のリズムを切り裂く俊敏性に富んだドリブルに心を奪われたのだ。
だが、これだけの才能を持ちながら、実績や周囲の評価は驚くほど地味だった。高校時代は全国大会に一度も出場できず、Jクラブからのオファーはなし。大学3年になり、守備力が向上したことで、Jクラブの関係者から高い評価を受け始めたが、「知る人ぞ知る存在」の枠から出ることはなかった。
橘田の評価が劇的に変わったのが、昨年のインカレだ。関東大学リーグ1部を史上最高順位となる2位でフィニッシュし、同大会初出場を決めた桐蔭横浜大は、この大会でも快進撃を続けて準優勝に輝いた。そのチームで攻守の要として躍動したのが橘田だった。彼がひときわスカウトの視線を集めることになったのは、準々決勝の法政大戦のプレーにある。