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18着に負けたダービーの誘導馬に。
サクセスブロッケンが遂に叶えた夢。
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke KAJI
posted2020/06/06 08:00
「日本ダービー」のゼッケンを12年ぶりにまとったサクセスブロッケン。
大観衆は競走馬時代を思い出させてしまう。
ここまでくると、関係者やファンは次なる目標をいやが上にも期待した。それは、現役時代に最下位に沈んだ「日本ダービー」を今度は誘導馬として"先導"することだった。
しかしサクセスブロッケンは、クラシック競走をはじめとする芝GIでの誘導の機会を得られていなかった。その理由は、GIの日に東京競馬場のスタンドを埋め尽くす10万を超える観客の大声援。
芝馬場と観客スタンドの距離の近さは、彼に競走馬時代を思い起こさせてしまう。競走馬として大成するための資質だったアグレッシブさが、誘導馬としての弱点になっていたのだ。
日本一の東京競馬場の大観衆を前に、誘導馬であるサクセスブロッケンがホットな状態になることは許されなかった。
その後も芝GIを誘導する機会を得られないまま、残念ながら町田の異動が決まる。ここまで歩みを共にしてきたパートナーと日本ダービーを先導するという夢は幻となってしまった。
町田の後に担当になった葛原耕二のトレーニングを受け、サクセスブロッケンは障害馬術競技馬としても本格的に活動を開始した。2016年の馬場開放イベントでは、競馬ファンに障害飛越ショーも披露した。
2018年には日本馬術連盟の公認競技会にも出場し、好成績を収めて実力をつけていった。それでも、芝GIの舞台は遠かった。
無観客開催はチャンスでもあった。
そんな中、転機が訪れる。2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、緊急事態宣言が発令されたのだ。JRAは無観客開催という決断を早期に下すことで、競馬の継続を模索する。
そしてダービーまで1カ月を切った5月2日。東京競馬場に出張で来た元担当の町田が、現担当の葛原に「今年はチャンスだぞ」という伝言を託していた。もちろん町田が果たせなかったブロッケンのダービー誘導のことだ。