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イ・ボミにとって忘れられない春。
賞金女王までの葛藤と父の存在。
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byAtsushi Tomura/Getty Images
posted2020/05/21 18:00
2015年「ほけんの窓口レディース」で優勝したイ・ボミ。この勝利をきっかけに、この年に初の賞金女王に輝いた。
日本の選手と同じように。
ただ、1年目は賞金シードを獲得したものの、優勝はできなかった。知名度が徐々に上がったのは、2年目の2012年にツアー初優勝してからだ。この年は3勝して賞金ランキング2位になっている。
のちにイ・ボミはこう振り返っている。
「初めて日本に来たとき、私には小さな夢がありました。それは、日本の方に応援してもらうことでした。私がバーディーを取っても、ほかの選手がパーを取ったときのほうが拍手が大きかったことに、すごくショックを受けたのを今でもよく覚えています。いつになったら日本の選手と同じように、祝福の拍手を受けられるのだろうと悩んでいました。『応援されたい』という気持ちはどの選手も同じだと思うんです」
あまり知られていないが、人気絶頂を経験したイ・ボミにもそんな過去がある。
どうしても日本と韓国は、どのスポーツにおいても“ライバル関係”として比較されがちで、日本ツアーだから日本の選手に活躍してほしいと思うのは当然の心情だと思う。
ただ、それでも“韓国人”である彼女のイメージを少しでも良くできるようにと、人気が出る前から積極的に声掛けして、奔走していた頃が今では懐かしい。
「父も安心してくれている」
そんなイ・ボミにとって大きな存在だったのは、ゴルフを始めるきっかけを与えてくれた父のイ・ソクチュ氏だ。前述の通り2014年9月に他界した。
この時、イ・ボミは日本プロゴルフ選手権に出場していたが、父の容態悪化の知らせを聞き、3日目に途中棄権して帰国。息を引き取るまでの時間を共にした。
ファンクラブの集まりの席で「これから娘をたくさん取り上げてくださいね」と満面の笑みを見せるソクチュさんの姿を今も鮮明も覚えている。娘のプレーを追う熱心な姿もよく見ていたし、イ・ボミには「賞金女王になる」というソクチュさんとの約束があった。しかし、その姿を目の前で見せられず、2015年の年間表彰式で大粒の涙を流して父への感謝の気持ちを述べていた光景は今でも忘れられない。
「昔はよく父が夢に出ていたのですが、今ではもう出てこなくなりました。父が安心してくれているのだと思います」
あれから5年の歳月が経った。
「春は暖かくてすごく好きですし、いい季節ですよね」
電話越しにそう話すイ・ボミ。あの頃の5月は、今でもとてもいい思い出として残っているようだった。
2017年を最後に勝利から遠ざかっているが、昨年12月に俳優のイ・ワン氏と結婚し、新たなステージに立った。そして「また優勝を味わいたい」という。イ・ボミに忘れられない春はまた訪れるだろうか――。