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イ・ボミにとって忘れられない春。
賞金女王までの葛藤と父の存在。
text by
キム・ミョンウKim Myung Wook
photograph byAtsushi Tomura/Getty Images
posted2020/05/21 18:00
2015年「ほけんの窓口レディース」で優勝したイ・ボミ。この勝利をきっかけに、この年に初の賞金女王に輝いた。
開幕した韓国ツアーに参戦。
新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、世界のゴルフツアーが延期や中止を余儀なくされるなか、韓国女子ゴルフツアーの「KLPGAチャンピオンシップ」が5月14日に開幕した。
日本女子ツアーは今季すでに18試合が中止となり、開催が不透明のため、イ・ボミは一旦、韓国に帰国しており、このタイミングで母国のツアーに出場していた。
コロナ禍の中、十分な練習ができないなかでの出場で、最終ラウンドには進めず、97位と成績はふるわなかったが、「今後につながる課題が見つかりました! 無事に試合が開催できたこと、久しぶりに緊張感のある試合ができたことがとてもうれしかったです」とその声はとても元気だった。
韓国にいながら「(試合後に)気軽に電話してください」という。現場取材ができない状況のなか、話を聞く立場からすればとてもありがたいことだが、これは決して普通のことではない。
イ・ボミ家族の積極的なアプローチ。
筆者もまた、イ・ボミとの信頼を築いたきっかけがある。彼女と初めて出会ったのは、2011年の日本ツアーデビューの時だった。
当時は「2010年韓国ツアー賞金女王」の肩書きで、注目はされていたが、日本のほとんどのゴルフファンにも知られていなかった。熱烈なファンもごく少数で、その方たちと一緒に試合後に食事に行っていたこともあると聞いている。
私が韓国語を話せることもあり、イ・ボミはとてもうれしそうにいろんなことを話してくれた。それに私をつかまえて離さなかったのは、母のファジャさんだった。
「これから日本でずっとプレーするので、機会があったら取り上げてくださいね」と言って、現場で顔を合わせると「ご飯は食べたのか」と心配してくれていた。とにかくいつも何かしら気にかけてくれていた。
そんな家族ぐるみの積極的な“アプローチ”もあり、私も心情的に無視するわけにはいかなかった。イ・ボミのプレーや発言を熱心に追いかけていた。