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幻のセンバツ出場校監督が挙げた
「最も印象に残る教え子」は誰だ?
text by
矢崎香耶子(Number編集部)Kayako Yazaki
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/05/07 20:30
昨夏の甲子園で明石商をベスト4に導いた狭間監督。明徳義塾でのコーチなどを経て、2007年に監督に就任した。
やはり“勝てる投手”の印象が強い。
一番多く聞かれたのは、狭間監督と同じく“勝てる”投手の名前だ。
2009年のセンバツで優勝した山梨学院・吉田洸二監督は、「彼がいなければ、優勝はまず無理だった」とNPBでも活躍する選手の名前を挙げた。
「清峰高校時代になりますが、今村猛(広島)です。正直、彼は『怪物』でした。日本代表のコーチとして、大谷翔平選手や藤浪晋太郎選手を見させていただきましたが、高校時代の完成度で言えば今村のほうが上。そう言えるくらいのピッチャーでした」
日本航空石川・中村隆監督の脳裏には、2017年夏の県大会で佐渡裕次郎が見せた姿が焼き付いているという。
「準決勝の星稜戦で、10回にピッチャーライナーが左足首に直撃したのですが一切弱気な発言をせずに11回を完投。翌日の決勝戦も足を腫らしながら投げきり、甲子園を決めました。スピードや体格が飛びぬけているわけはありませんでしたが、気持ちの強さは群を抜いていました」
甲子園初出場をもたらしたエースも。
甲子園初出場時のエースを挙げる監督も多かった。計26年に渡って国士舘を率い、浜名千広(元ダイエー等)や岩崎優(阪神)ら数多くの教え子を持つ永田昌弘監督もその1人。1991年にチームを初のセンバツ、そしてベスト4へと導いたのは、エース・菊池裕介だった。
「身長は173cmと小柄で、球速も130km台後半でしたが、打者のインコースをビシビシ攻められる投手でした。左打者へはクロスファイヤー、右打者へは外角のカーブとスライダーで勝負するし、時折投げ込むフォークボールも効果的でした」
一方、星稜・林和成監督は、昨夏準優勝に導いた奥川恭伸(ヤクルト)の名前を挙げつつも、その理由を「3年間でもっとも成長してくれた」と回答した。
同じように二人三脚で花開いたエースという回答をしてくれたのは花咲徳栄・岩井隆監督だ。
「高橋昂也(広島)は、中学時代には制球力があまりなく、インステップの修正に入学から1カ月を費やしました。フィールディングも上手ではなかったので、基礎的なところから指導しましたね。練習試合も1年生から上級生のチームに帯同させて経験を積ませ、2年生の夏には主に抑え投手を任せました。1点が命取りとなる試合終盤で求められるのは三振。ストレートはいいものをもっていましたから、あとはスライダーとフォークの変化球でも三振を取るようにと、実戦を通じて教えてきました。その結果、新チームの秋から3年の夏にかけて、予選ではほぼ全試合でイニング数を上回る三振を奪えるまでの投手に成長してくれました」