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<オリンピック4位という人生(8)>
アトランタ五輪「思い出す曲がり角」  

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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posted2020/04/05 09:00

<オリンピック4位という人生(8)>アトランタ五輪「思い出す曲がり角」  <Number Web> photograph by AFLO

陸上5000mで4位となった志水見千子。リクルートの同僚・有森裕子は同じ日、マラソンで銅メダルを獲得していた。

「五輪で走られていたんですよね?」

 人生というレースを振り返っていて、よみがえってきた景色がある。

 海の青と、砂浜の白と、田んぼの緑にふちどられた町。私が生まれた町。

 京丹後市網野町の小学校ではマラソン大会になると校庭を飛び出して田んぼ道を走る。私はその3kmを、競うというよりただただ駆けていちばんになった。ランドセルを背負った帰り道。畦道の声援者だったおじいちゃんやおばあちゃんが「あなた、はやかったねえ」と微笑んでいた。いつもの帰り道。急に足取りが誇らしくなった。

 運動会はそんなに好きじゃなかった。一等賞の紙だって友だちと争ってまでほしいとは思わなかった。だけどマラソン大会は好きだ。私はただ私自身を駆ければよかった。それで笑ってくれる人がいた。あのころ走っていた道は広くて明るい道だった。それがいつのまに細く深く暗い道になったのだろう。走ること勝つことを除けば、ほとんどこの社会の何も知らないことがひどく恥ずかしい気がして、第二の人生はランナーであることをやめた。

 34歳。緑のある横浜郊外、私が走っていたことをだれも知らない場所で妹と小さなカフェを開いた。追うことも追われることもない時間を生きていた。

「あのお……、オリンピックで走られていたんですよね?」

 ある日、いつもコーヒーを飲みにくる夫婦にそう聞かれて、言葉が出なかった。

「走ることを教えてもらえませんか?」

 いつも曖昧にやり過ごす私に、何度目かのやりとりで夫婦はこう言った。

「自分のタイムを、自己ベストを伸ばしたいんです。だから教えてもらえませんか?」

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