令和の野球探訪BACK NUMBER
無名右腕がMLBに受けた高評価とは?
ドラフト指名なしも、米球団は即決。
posted2020/02/27 15:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
MLBオークランド・アスレチックスが昨年11月に都内で行った日本人投手向けのトライアウト。そこで声がかかったのは、野球界ではほぼ無名といえる右腕・冨岡聖平(しょうへい)だ。最速95マイル(約153キロ)のストレートを投じて見事、“合格”を勝ち取った。
2月29日で24歳を迎える冨岡は、ここまで大きな脚光を浴びることがなく野球人生を過ごしてきた。
富山・桜井高時代は3年夏に県大会準優勝こそ果たしたものの、進学した東洋大では東都大学リーグ登板はわずか6試合(1勝1敗)。バイタルネットでプレーした社会人生活の2年間においても北信越予選を突破できず、全国大会は未経験のまま。
そんな男がなぜこのタイミングでスターダムへ駆け上がる「スタート地点」に立てたのか。その要因を探るべく、冨岡の自主トレ先である愛知県名古屋市に向かった。
冨岡聖平が憧れたのはイチロー。
幼いころからMLBは憧れだった。
「夏休みはラジオ体操へ行ってから家に帰ると、おじいちゃんの部屋でメジャーリーグの中継を観て、夜はプロ野球を観て、という生活でした」
だが羨望の眼差しは投手ではなく野手。ヒットを量産するシアトル・マリナーズのイチローの打撃に向けられていた。
軟式野球をしていた小中学生時代はエースを務めていたが、地元の強豪・桜井高に進んでからは希望通り右翼手や三塁手をしていた。しかし、同期に投手が少なかったこともあり、2年秋の新チームから再びエースの座に。冬場の厳しい練習に「もう吹っ切れて真面目に取り組みました」と徐々に力をつけていった。
冨岡は周囲よりも成長が遅く、中学入学時の身長150センチに満たないほどだったが、高校3年時には180センチほどに成長。最速142キロに達していた力強いストレートを武器に富山大会で躍進した。
自身が小学6年だった2007年以来の甲子園出場には惜しくも届かなかったが、富山大会の決勝戦にはNPB8球団のスカウトが集結。「高卒プロは自分の中で頭になかったので、大学のより高いレベルで」と受験した東洋大のセレクションでも目立つ存在になっていた。