猛牛のささやきBACK NUMBER
崖っぷちにいたオリックス神戸文也。
震えたプロ初登板、母への感謝。
posted2020/01/24 11:30
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Kyodo News
プロ4年目を迎えた右腕、神戸文也の原点は、母とのキャッチボールだ。
神戸の母・知子さんは野球経験者で、中学時代に投手として全国大会で優勝した経験もある。高校時代はソフトボールで国体にも出場した。
神戸が幼稚園児だった頃、母と兄が家の前でキャッチボールをしている姿を見て、「僕もやりたい!」とせがんだ。
「じゃあ順番ね。お兄ちゃんが終わるまで、壁当てしといて」
それが始まりだった。
小学3年生で投手になってからは、少年野球の試合がある土日の前の金曜日に、知子さんを相手に約30球、ピッチング練習をするのが毎週のルーティンだった。その最後の5球は「構えたところに5球来たら終わりね」という決め事があった。小学生にとっては難易度の高い要求だ。
「難しいですよ。ストライクを入れるだけでも難しいんですから。でもその練習をテキトーにやった次の日の試合は、結構ダメなことが多かったですね」
神戸は懐かしそうに笑う。
ラストチャンスだと覚悟していた。
母とのキャッチボールから始まった野球は、前橋育英高、立正大を経て、プロへとつながる。ただし育成契約からのスタートだった。2016年の育成ドラフト3位でオリックスに入団。2年目の'18年にはシーズン中に約3カ月間、BCリーグの福井に派遣された。3年目を迎えた'19年は、ラストチャンスだと覚悟していた。
しかし、有望な若手投手がひしめくオリックスで、シーズン序盤はファームですら登板機会がなかった。まずはブルペンでコーチ陣にアピールしたかったが、神戸はブルペンで投げるのが得意ではない。
「ブルペンでは、試合のようには投げられないんです。バッターが立っていたら、ストライクゾーンってなんとなくわかるんですけど、ブルペンはキャッチャーしかいないので、構えたところに投げなきゃいけない。そうなると腕が振れない。試合でバッター相手に投げる時は、見逃しだけじゃなく空振りもあるし、ファールでカウントを取ったりもできる。だから結構アバウトに、腕を振って投げられるんですけど」