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日経新春杯に挑むレッドジェニアル。
メイショウサムソンの後継者に? 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2020/01/17 07:00

日経新春杯に挑むレッドジェニアル。メイショウサムソンの後継者に?<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

当時調教助手だった高橋義忠現調教師とメイショウサムソン。GI通算4勝で、生涯獲得賞金は10億円を超えた。

ビッグレースには縁が無かったが……。

 しかし、まだ36歳だった'77年に調教師免許を取得。ジョッキーとして脂ののっている時期に調教師へ転身した。

 調教師としては2011年に引退するまで通算524勝を挙げる。騎手としても調教師としても500勝達成という偉業を成し遂げたわけだが、調教師になってからは不思議とビッグレースには縁が無かった。

 それでも、真摯に向き合っている者にはいずれ勝利の女神が微笑む時がくる。

 調教師としての晩年、ついにチャンスが回ってきた。瀬戸口勉調教師が定年により厩舎を解散すると、同師が管理していたダービー馬メイショウサムソンが高橋成忠厩舎に転厩。同馬は'07年に石橋守騎手を背に天皇賞(春)を制すると、鞍上を武豊騎手に替えて同年の天皇賞(秋)も優勝。ついに高橋成忠調教師にGIのタイトルを届けてくれたのだ。

武豊と凱旋門賞に挑戦。

 春秋の天皇賞を制したメイショウサムソンは、翌'08年、凱旋門賞に挑戦した。鞍上はもちろん武豊騎手。しかし、結果は1番人気のザルカヴァがその強さを存分に披露するのとは裏腹、本来の力を見せる事なく、10着に沈んでしまった。

 当時、この結果に対して残念そうな表情を隠そうとしなかったのが、高橋義忠現調教師だ。

 当時は父・成忠厩舎の調教助手として海を越えていた。フランスのシャンティイで開業するミケル・デルザングル厩舎の一角にある馬房を間借りしたメイショウサムソンと一緒に、凱旋門賞までの時間を過ごした。

 いや、もっと正確に言えば、その前から。国内の検疫厩舎に入った時から一心同体という感じで同馬の面倒を見続けていた。

 しかし、彼が残念そうな表情を見せたのは、そうやって時と空間を共有したパートナーが力を出し切れずに終わってしまったから、という理由だけではなかった。

【次ページ】 “馬インフルエンザ”の陽性反応が……。

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