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日経新春杯に挑むレッドジェニアル。
メイショウサムソンの後継者に? 

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平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2020/01/17 07:00

日経新春杯に挑むレッドジェニアル。メイショウサムソンの後継者に?<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

当時調教助手だった高橋義忠現調教師とメイショウサムソン。GI通算4勝で、生涯獲得賞金は10億円を超えた。

“馬インフルエンザ”の陽性反応が……。

 先にも記した通り、メイショウサムソンが春秋の天皇賞を制したのは'07年。これに対し、凱旋門賞に挑んだのは翌年の'08年。何故1年間のブランクがあったのか、当時を知るファンなら覚えておられるだろう。

 メイショウサムソンは天皇賞を勝った'07年もフランスへ遠征をする予定でいた。そのため美浦トレセンにある検疫厩舎にまで入っていた。そこで思わぬ災禍に見舞われる。当時、競馬界を襲った“馬インフルエンザ騒動”である。

 そしてあろうことか、メイショウサムソン自身がインフルエンザの検査で陽性反応を示してしまったのだ。獣医検査で、この陽性の反応が示されたまさにその瞬間に立ち会ったのが、何を隠そう高橋義忠調教助手だった。そのショックがいかに大きかったかは想像に難くない。

1年間お蔵入りしていた特製ゼッケン。

 凱旋門賞に挑戦するためのフランス遠征が実現した際、シャンティイの森の中を歩くメイショウサムソンは日の丸が刺繍された特製ゼッケンを着けていた。高橋義忠助手は感慨深げにそのゼッケンを見ながら言っていた。

「実はあれ、僕がデザインしたんです。1年間お蔵入りしていたけど、着ける事が出来て良かったです」

 青いそのゼッケンには日の丸の他に“TAKAHASHI RACING STABLE”の文字が縫われていたが、馬名は入っていなかった。次の遠征があった際にはまた使用出来るように……という事なのかな? と勝手に思ったものである。

 調教助手から現在は調教師へと立場を変えた高橋義忠師だが、父のかなえられなかった凱旋門賞に対する想いは、果たしていかばかりか……。あのゼッケンはまだ義忠師の手元にあるのだろうか……。そして、それがまた披露される日が来るのだろうか……。

 もしかすると武豊騎手を背に今週末の日経新春杯に挑むレッドジェニアルが、秋には海を越えている。あのゼッケンを着けている。そんな可能性もあるのだろうか?
 

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