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パラテコンドー日本代表、伊藤力。
松岡修造にパラ五輪を目指すまでを語る。 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

PROFILE

photograph byNanae Suzuki

posted2020/01/09 18:00

パラテコンドー日本代表、伊藤力。松岡修造にパラ五輪を目指すまでを語る。<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

「松岡さんは大きいし脚も長いからすごくテコンドーに向いていると思います! 」とは日本代表選手の伊藤力。

「ピッコロさんみたいに腕は生えてこないので(笑)」

松岡「吹っ切れたのはいつ頃ですか」

伊藤「4日目くらいかな」

松岡「それは早すぎませんか。早すぎますって、失礼な言い方ですけど、これまでに話を伺った方は現実を受け入れるまでにもっと時間が掛かったと言っていたように思います」

伊藤「僕はあまり長く考えるのが好きじゃないんです。考えても元には戻らないし、ピッコロさん(漫画『ドラゴンボール』に登場するキャラクター)みたいに腕は生えてこないので(笑)。それならこの現状を受け入れるしかないよねって。右腕がなくなって何ができなくなるだろう。フットサルはできる。飯も食える。字は書けなくてもスマホがあるし、別に生活が不自由になるわけじゃないかと。逆に、障がい者スポーツに参加できるようになるから、そっちで頑張ろうと思いました」

松岡「でも、その時すでに結婚を……」

伊藤「ちょうど結婚して1カ月くらいでした。奥さんはさすがに泣いてました。僕よりも泣いてたかな。でも、僕がこんなんだから、しばらくしたら奥さんも『そんなに心配しなくて良いんだね』って」

松岡「力さんがあまりにも明るいから、大丈夫なんだと。お子さんは?」

伊藤「その時、お腹にいました。だから子どもも生まれるし、くよくよしている暇はないなというのもありました」

松岡「でも、すぐに慣れたわけではないですよね」

伊藤「箸は3日でマスターしましたよ。わりと器用じゃんって(笑)」

松岡「義手をつけるという選択肢は?」

松岡「人からの見られ方はどう感じてましたか」

伊藤「最初の1年間はずっと長袖を着てましたね。事故を起こしたのが2015年なんですけど、その翌年に地元の北海道から東京に引っ越して、東京はすごく暑いじゃないですか。それで半袖になって、外にも出るようになりました」

松岡「義手をつけるという選択肢はなかったのですか」

伊藤「最初は使っていたんですけど、左手でやった方が早いことに気づいて。僕の思考に追いつかないなら捨てちゃえって」

【次ページ】 「『東京に来たら』と誘われて」

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