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飛行機墜落から3年、降格で再び涙。
財政難シャペコエンセは甦るのか。
 

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沢田啓明

沢田啓明Hiroaki Sawada

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posted2019/12/08 20:00

飛行機墜落から3年、降格で再び涙。財政難シャペコエンセは甦るのか。<Number Web> photograph by Getty Images

浦和レッズが2017年に対戦した際にはシャペコエンセを励ます横断幕も出た。苦境にあるチームだが、復活を期待したい。

涙声の大合唱と予定外のコール。

 スタンドは地元の人々で超満員で、ブラジルと南米のフットボール関係者の他、ジャンニ・インファンティーノFIFA会長も列席した。

 コロンビアから帰還した犠牲者の棺が、大雨の中、次々とピッチに運び込まれる。期せずして、スタンドから「カンペオン・ヴォウトウ!」(チャンピオンが還ってきた!)という涙声の大合唱が起きた。

 セレモニーでは、危うく難を逃れたクラブ副会長が世界中のサッカー関係者とファンからの激励に感謝し、「選手たちは英雄として旅立ち、伝説となって還ってきた」と声を詰まらせた。「犠牲者に心からの祈りを捧げる」というローマ教皇フランシスコのメッセージが代読され、インファンティーノFIFA会長が「我々は彼らのことを決して忘れない」と言葉を絞り出した。

 セレモニー終了後、予定外のことが起きた。棺に取りすがって慟哭した遺族たちが、夫の、父の、息子のパネルやユニフォームを捧げ持ち、行進したのである。これを見て場内が騒然となり、人々は選手ひとりひとりの名をコールした。

 遺族たちは、皆、泣きじゃくっていた。しかし、どこか誇らしげでもあった。それは、彼らの最愛の人がかくも大勢の人々からかくも深く愛されていたことを全身で感じたからだろう。

 取材のため世界各国からやってきた数百人のメディア関係者も、皆、泣きながら仕事をしていた。

弱小クラブと青年実業家の夢。

 シャペコエンセは、1973年に創設された。2008年までは州選手権に参加するだけの典型的な地方の弱小クラブ。相当額の負債も抱えていた。

 しかし、この年、地元で果物の配送会社を経営する青年実業家サンドロ・パラオーロが「いずれ南米クラブ王者になる」という夢物語としか思えない公約を掲げて会長に就任。自分の会社の経営を放り出し、無給でクラブ運営に情熱を傾けた。

 自身がビジネスで培ったノウハウと人脈を最大限に活用し、地元財界などから精力的にスポンサーを募ると同時に、市から全面的な支援を取りつけ、市民にサポートを訴えてソシオを急増させた。

 3年ほどで負債を完済し、それまで遅配が多かった選手への給料もきちんと期日に支払うようになった(日本では当たり前のことだろうが、南米のクラブでは給料の遅配が頻繁に起きる)。そして、練習施設の拡充と効果的な補強に取り組み、あまり金をかけることなく強化を図った。

【次ページ】 小さな町のクラブの理想像だった。

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シャペコエンセ

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