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五輪をスポンサー企業から見ると?
コカ・コーラのGMが語るレガシー。
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
posted2019/11/25 07:30
高橋オリバーさん。
オリンピック・パラリンピックの運営費の多くを賄うのが、テレビの放映権料と企業スポンサーからの協賛金だ。支援する側の企業にとって東京2020はどのような機会なのか。1928年大会から支援を続けるコカ・コーラ社のケースを聞く。
感情が揺さぶられるスポーツの大会は、スポンサーにとってもファン獲得の絶好の機会だ。飲食の分野なら会場での独占販売権も得られる。一方、その権利には責任が伴う。ラグビーW杯での日本対ロシア、南アフリカ対ニュージーランド戦ではソフトドリンクが売り切れ、喉の渇きを訴える人が続出。現代スポーツ興行の課題が浮き彫りになった。
ただし、東京五輪では心配はなさそうだ。日本コカ・コーラの東京2020年オリンピックゼネラルマネジャー(GM)の高橋オリバーは断言する。
「コカ・コーラは1928年アムステルダム五輪から関わっており、ノウハウが蓄積されています。過去の大会では数日分の製品を会場内にストックし、十分な備えを行なっていました。東京2020の各会場のどこにコンテナを置き、どう搬入出するかも組織委員会の担当者と共に決めてある。万全の態勢を整えることができるように準備をしますので、たとえば製品がなくなるということは絶対に起こりえません」
コカ・コーラはスポーツビジネス界の巨人だ。サッカーW杯では1978年大会からスポンサーを務め続けている。オリバーは国際サッカー連盟(FIFA)に10年間、ナイキジャパンに4年間勤めた世界的なマーケティングのエキスパートだ。その経験をもってしても、コカ・コーラの知の蓄積に驚かされた。
「たとえば聖火リレーには1992年バルセロナ五輪から参加したんですが、その際にどんなプロモーションをしたか、五輪専用フォルダにすべて資料として保存されている。1964年東京五輪のときの社内報も残っており、1957年に日本市場に参入したコカ・コーラが東京五輪によって一気に展開した様子が書かれていました」
しかし、過去の成功例はあくまで参考にすぎない。オリバーはGM就任時、アメリカ本社の社長からこう言われた。
「今までの五輪でコカ・コーラがやってきたことは一旦忘れなさい。次世代に向けた五輪やW杯の活用方法を見出すことが、全世界のコカ・コーラのレガシーにつながる」
オリバーは日本コカ・コーラの現場スタッフと会社上層部を別々に集め、レガシーの案を募った。偶然にも前者と後者で似た案が出てきた。それらを組み合わせ、オリバーは5つのレガシーを導いた。
「1つ目は対象製品を『コカ・コーラ』に加え『綾鷹』、『ジョージア』、『い・ろ・は・す』、『アクエリアス』まで広げ、0歳からお年寄りまで全世代の嗜好にあった製品を提供すること。2つ目はリサイクルの取り組み。3つ目はデジタル活用。『Coke ON』というアプリを使い、自動販売機でスタンプを集めるキャンペーンを実施しました。4つ目は日本全国での市場拡大。そして5つ目は、日本コカ・コーラシステムの約2万人の社員に五輪への接点を作ること。全員が何かしら五輪関連の作業に関われるよう頑張っています」
有名なピンバッジもさらなるテコ入れ。
オリバーのアプローチは理論的だ。プロモーションを5つの期間に分け、1期間が終わるごとに改善を繰り返している。
「いかにコカ・コーラらしいプロモーションを提供できるか。五輪でコカ・コーラといえばピンバッジが有名ですが、愛好家の年齢が上がっている。若者向けにアプリでスタンプを集めたら実物のピンバッジがもらえるといった案を練っています」
オリバーはFIFA時代にサッカー男子W杯・女子W杯を経験し、そして来年夏季五輪を経験する。オリバーの中にもノウハウが蓄積され続けている。
「冬季五輪も興味があります。リーボックの社員として1998年長野五輪でオーストラリアやロシアなどを担当したのですが、まだ大卒直後の駆け出しでしたから。札幌が2030年冬季五輪に立候補している。そのとき自分は何をしているかな」
高橋オリバーたかはしおりばー
1970年、ドイツ生まれ。4歳から高校まで日本で過ごし、オーストラリア・シドニー大学を卒業。リーボック・ジャパンで長野五輪、スポーツマーケティングエージェンシーのISLでは日韓W杯に携わり、'02年に国際サッカー連盟(FIFA)へ。'10年にはFIFAにおける全イベントの事業会社系子会社の責任者に就任し、'12年からはナイキジャパンでスポーツマーケティング・シニアディレクターを務めた。'16年8月、日本コカ・コーラ株式会社の東京2020年オリンピックゼネラルマネジャーに就任。