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新根室プロレスが今年で解散を発表。
パンダと追ったサムソン宮本の「夢」。 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2019/09/18 18:00

新根室プロレスが今年で解散を発表。パンダと追ったサムソン宮本の「夢」。<Number Web> photograph by Gantz Horie

アンドレザ・ジャイアントパンダとともに新根室プロレスを盛り上げてきたサムソン宮本。

「夢」が「目標」へと変わった。

 サムソン宮本が平滑筋肉腫を発症し、入院手術したのは2017年の8月。アンドレザがデビューしたのは、同年9月7日の三吉大会。サムソンは、アンドレザのブレイク前に、新根室のメンバーに病気を告白し、「何年続けられるかわからないけど、新根室プロレスが有名になって、東京で単独興行ができたら解散しよう。それを目標にやっていこう」と語っている。

 その時点で、新根室の東京進出は夢物語でしかなかったが、それから2カ月ほど経って、アンドレザの試合動画がTwitterで拡散されたことで一気に大ブレイク。「夢」は「目標」へと変わった。平滑筋肉腫という、抗がん剤や放射線治療も効かないとされる難病を告知され絶望の淵にあったサムソンに、アンドレザが希望を運んできてくれたのだ。

 しかし、今年2月に平滑筋肉腫は肺に転移。残された時間は少ないと感じたサムソンは、ついに東京大会開催を決める。それは同時に新根室プロレス解散の決断を下したということだった。

 年内解散となると、毎年恒例だった9月の三吉神社大会もこれが最後になる。今大会が「サムソン宮本『生前葬』」と銘打たれたのは、長年応援してくれた地元根室の人たちに、本当のことを告白し、感謝の気持ちを伝えるために考えた“仕掛け”だった。

サムソンに響き続けた猪木の言葉。

 サムソンはこう語る。

「僕がこの病気を発症した2017年に、アントニオ猪木さんが『生前葬』を行ったんですよ(10月21日、両国国技館)。僕は子供の頃から猪木さんが大好きで、憧れていて。その猪木さんが両国で生前葬をやるという記事を読んで、『やっぱり、すごいことやるな』って、感銘を受けたんですね。

 それと同時に、『俺もこれをやりたい!』と思ったんですよ。生前葬の意味を調べてみたら、『生きている間に皆さんに感謝の気持ちを伝える』ために行うものだというので、まさしく自分がやりたいことはこれだ! と思ったんです。

 僕は『世間とプロレスをする』『リングに己の生き様をすべてさらけ出してこそプロレスラー』といった猪木さんの言葉を胸に、ずっと新根室プロレスを続けてきたんです。だから最後も、病気も何もかも己をさらけ出して、世間を巻き込んでやろうと思います」

【次ページ】 終着は最初で最後の東京大会。

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