野球のぼせもんBACK NUMBER
社会人→家業手伝い→大学→プロ。
ホークスの「異色」捕手・高谷裕亮。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKyodo News
posted2019/09/13 08:00
9月5日の楽天戦で今季1号本塁打を放ち、ナインに迎えられる高谷裕亮(右端)。
大学に入り直し、一気に日本代表へ。
そのまま実家の後を継ぐ選択肢もあったが、「高卒だし、社会人経験も2年だけ。大学でイチから勉強するのも悪くない」と机に向かった。
ずっと野球一筋だったので、体を動かさない受験勉強の日々に悪戦苦闘したが、その安静が効いたのか膝や腰の痛みがみるみる消えていくではないか。
もしかしたら、また野球ができるのでは――捨てきれなかった情熱に火がついた。
白鴎大に一般入試で合格。21歳の大学1年生は迷わず野球部の門をたたいた。入学後は「社会人を経由した選手は1年間公式戦に出場できない」という規定によりひたすら練習だけの日々もあったが、その後は関甲新リーグを代表するプレーヤーとして大学球界で全国に名を轟かせる選手となった。
大学4年時には日本代表の一員として台湾で開催されたインターコンチネンタルカップに出場。そして、25歳でのプロ入り。
あの時、「僕は遠回りだとは思っていません。いろいろなことがあったから人間的に大きくなれた」とまっすぐな瞳で話していたのも忘れない。
いつ来るかわからない出番のために。
数奇な野球人生を送ってきた高谷だから、野球に対して失礼な行動をとるはずがない。
いつ出番があるか分からない立場だ。でも、準備を欠かしたことは一度もない。砂浜に姿がない日は、午前中からウエイトトレーニングを行う。どうしても午前中にトレーニングが出来なかったら、ナイターが終わってからやるべきことをやる。帰宅が午前0時に迫ることも珍しくはない。
「同じことをずっと続けるのはしんどい時もあります。でも、行けと言われた時に準備が出来ていないことの方がずっと後悔するじゃないですか」