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ラグビーW杯史に残る伝説のトライ。
ヘスケスが語る南アフリカ戦秘話。
 

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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photograph byWataru Sato

posted2019/09/13 11:30

ラグビーW杯史に残る伝説のトライ。ヘスケスが語る南アフリカ戦秘話。<Number Web> photograph by Wataru Sato

前回W杯の南アフリカ戦で逆転トライを決めたヘスケス。「それまでの練習の賜物であり、メンタル的にも準備していたから」こそ実現できたと話す。

スポーツの歴史を動かすトライ。

 ラストプレーで5点をもぎ取った日本は、34対32で南アフリカを振り切った。ティア1と称されるトップカテゴリーの国から、W杯で初めてつかんだ勝利である。南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリアの南半球3強を、初めて退けた一戦にもなった。

 立場を入れ替えれば、南アフリカがティア2の国に初めて敗れた試合である。

 ラグビーの、スポーツの歴史が、1本のトライによって動いたのだった。

「人生から切り離せない出来事」

 途中出場から攻撃を活性化するウイングとして、ヘスケスはスコットランドとの第2戦以降も出場した。自身2本目のトライは奪えなかったものの、日本はW杯史上最多の3勝を記録した。

 世紀のアップセットを生み出したあのトライは、ヘスケス自身のキャリアにもはっきりと刻印された。

「いまとなっては、人生から切り離そうとしても切り離せない出来事になりました。20歳の頃には想像さえできなかったことが、自分の身に起こったわけですから。あの南アフリカ戦で私の人生は変わりました。

 本当に忘れがたい、かけがえのない経験です。達成感は大きかったですね。だから……2015年のW杯へ向けた準備は、本当にハードでした。合宿をして、家に帰って、またすぐに合宿に行く。家族と過ごす時間がなかなか持てなかった。そういうところのバランスを取っていきたい、という思いは強くなりましたね」

 一般的に海外のアスリートは、日本人に比べて家族との時間を大切にするものだ。客観的視点でトップレベルに耐えうる選手でも、「家族と過ごしたい」との理由で第一線から退くことがある。

 しかも、ヘスケスはキャリア最高と言っていい瞬間を体験したのだ。もう一度モチベーションの火を燃やすのは、彼ではなくとも簡単でなかっただろう。

「2015年のW杯に30歳で出場した僕は、2019年には34歳になります。ウイングは競争の激しいポジションですから、次も選ばれるのは難しい。日本で開催されるW杯であのジャージをまた着たい思いも強くありましたが、家族の存在はとても大きかった。それと、できることをすべてやり遂げた気持ちもありました」

【次ページ】 「ベスト8入りを期待しています」

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